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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

好きなものだけを好きという戦い

雑記

私、ある脚本家の書く作品がどれもこれも苦手なのね。見た瞬間に誰が書いたホンかすぐに分かってしまうくらい。脚本家なんて売文業の底辺で、ほとんどの人間は注文通りに書くだけの作業用ロボットと同じ、という中にあって、作家性というものを比較的認められた人だ。要は、山田太一倉本聰三谷幸喜宮藤官九郎野島伸司北川悦吏子、みたいな、名前で客が呼べる脚本家の一人。だからこそ、私も「嫌い」と判別が出来る訳である。

ある大学の入試説明会に行ったことがある。私の入りたい学科の担当教授が変わる、というので、後任が誰か気になったからだ。それが件の脚本家だったのである。その日は死ぬほど落ち込んだ。「今」から抜け出すために行きたいと思った大学なのに、よりにもよってどうして、こんなにもハッキリ苦手だと分かっている人が先生なんだろう。もう、受験なんてやめてしまおうと思った。でも、他にこの袋小路からの抜け道が見つけられなかった。それで、この人のドラマをいくつか見直した。

思っていたより面白いなとは思った。上手だな、とも思った。でも、やっぱり好きじゃなかった。なのに私は愚を犯した。良いと思い込もうとした。好きだとさえ思い込もうとした。このブログでも、結構色々とケチを付けていたのだけれど、それを消したりして。

その学校は二回受験した。一回目は二次で落ちた。二回目は最終試験で落とされた。最終試験は面接だ。初めて、その苦手な脚本家を生で目にした。目がキラキラしていて、垢抜けていて、芸能人でもあるまいに、私はすぐにファンになってしまった。落とされたはものの、提出した作品を「面白かったですよ」なんてお世辞でも言ってくれて、天にも昇るような気持ちだった。私は精一杯喋ったが、馬鹿なことばかり言って、伝えるべきことを何も言えなかった。「言い残したことはありませんか?」と言われたけれど、言い残したことが多すぎて、今も毎日苦しい。

ところで最近、またこの人の作品を見た。やっぱり苦手だ。どうしても受かりたかったけれど、受かっていたら辛いことになっていたかも知れない、と負け惜しみも込みで思ったりする。

それ以上に思うのは、私が一度で2回負けたということ。受かりたい一心で、嫌いなものを好きだと思おうとした。落ちたら、やっぱり好きじゃなかった。試験だけでなく、自分にも負けた。これは、本当に悔しいことだ。

私は、好きなものだけを好きという。これは戦いだと思う。これに負けたら、もう生きている意味なんかない(だからもう生きていなくても良いんだけれど)。

バレていた

雑記

仕事が終わり、更衣室で着替えていた。暇だったし、働いたと言うほど働いてもいないし、役にも立っていない。いつもの話だ。それでもつい、身体の奥から「んーー」と唸り声が漏れ出てくる。

仕事がつまらない、単調で毎日毎日同じことの繰り返し、もう辞めたい。

――って思ってるな? と上司に言われた。えっ、○○さんエスパーなんですか、僕の心が読めるんですか、と本心をズバリ言い当てられながら、戯けて見せた。そんなもん、その顔を見たら誰でも分かる、と言われ、その場に居た他の上司全員が頷いていた。

そうか、バレていたのか。情けないな、と思う反面、言わなくても分かってもらえるんだ、という嬉しさがあった。バレていて当然なのだ。むしろ、直接言えないから誰かにくみ取って欲しいと、心では思っていたんだから。

そんなもの、同じ職場の人間に知ってもらったところでどうしようもないし、同じ仕事をしていて多かれ少なかれ同じような気持ちで働いているわけで、そもそも知られること自体望ましくないのに。

もっと給料の良い仕事探せば? と半分励まし半分嫌みで言われたが、しかし、そういうことではないんだよなぁ。まだまだ私は大人たちのように割り切って生きることが出来ない。

『アイアムアヒーロー』

映画・ドラマ

アイアムアヒーロー 大泉洋 有村架純 ほか

謎のウィルスに感染し人間がゾンビ化した通称ZQNが大発生。漫画家志望で冴えない毎日を送っていた鈴木英雄は、高所ではウィルスに感染しないという噂を聞き、途中で知り合った女子高生・比呂美と共に富士山を目指すのだが――。

比呂美が実は赤ん坊に噛まれていたことから半ZQN化し、これを連れて先に進んだところ、廃墟と化したアウトレットモールに到着。ここにはZQNから避難した人々がバリケードを張ってコミュニティを形成していた。そのコミュニティには持っている武器によって序列が生じていて、一人の男が君臨している――というあたりから、ちょっとスケールダウン。

成り行きで(というかお膳立てによって)英雄は趣味であるクレー射撃用の銃を持ってここまで避難してきている。コミュニティの中に入れば、いきなりキングだ。ただし、それは撃てればの話。ずっと銃を持っていて、何度も撃つべき場面があったにも関わらず、英雄は撃てない。英雄がいつ誰のために銃を撃って、ヒーロー(=英雄)になれるのか、というのが本作のクライマックスに位置づけられる。

英雄はずっと普通普通と言われ続けていて、自己紹介をするときは必ず、英雄(えいゆう)って書いて英雄(ひでお)と付け加える。世界がひっくり返っても何者にもなれない、と嘆いていた英雄は、守りたいもののために戦うヒーロー(のようなもの)になれた。ラストで英雄は、ただの普通の英雄だ、と名乗るのだった。

好きだったのは二カ所。一つ目は、英雄が比呂美に「君は俺が守る」と言ったところ。まだ平凡な日常を送っていたときのこと、英雄は雑誌にマンガを持ち込んでいて、その凡庸で陳腐な内容を編集者に鼻で笑われていたのだった。そのマンガの一コマが「君は俺が守る」なのだ。先に提示したありきたりな台詞を、本気で言うためのシチュエーション、というのは案外胸を打つ。

もう一つは、ロッカーに隠れた英雄が、助けを呼ぶ仲間(女)の声を聞いて、飛び出そうとするシーン。大声で叫びながら突っ込んでいくとゾンビに噛まれてしまった――というのは想像。もう一度やってみる、ダメ、もう一度、ダメ、もう一度……何度やってみてもダメなパターンしかイメージできない。怖くて、外に出て行けない。……それでも!! と覚悟を決めるシーンは、それこそ普通の人には痛いほど分かる描写であった。

見終わった後、脇にしっかりと汗をかいていて、随分熱中してみていたんだなぁと思ったけど、多少かったるい感じがした。マンガにありがちな、人間の表面だけをなぞった「キャラ」ばかり登場するのは、アクション映画だから良いとしても、「いつ引き金を引くのか」を焦点に2時間持たせるのはキツい。それにいったん銃を撃ち始めると、大量のゾンビに向かってひたすら撃つだけになってしまって、単調。ちょっと楽しみにしていたんで、拍子抜け。

朱に交わったのか、類が呼んだのか

雑記

情熱大陸」に日本のシェイクスピア俳優が出ていて、新劇にもシェイクスピアにも何の興味も無い私は、一体シェイクスピアの何が、そんなに人を引きつけるのか、このオヤジに役者の道を歩ませたのか、が気になってそのままぼんやりテレビを観ていたのだけれど、結局何が良いのかさっぱり分からないままだった。

以前もどこかで言ったと思うが、イギリス人にちょんまげを付けて日本の時代劇をさせたら、どんなに流暢な台詞回しだろうと「滑稽」のひと言だろう。だから、日本のチャンバラは日本人に、シェイクスピア劇はイギリス人に任せておきなさいって。

それで、それ以上に気になったのはこのオヤジである。バツ3で、四度目の結婚をしているらしい。それだけでもいささか人間性に疑問を持ったのだが、公然と不倫をして離婚したと自慢げに語る様子を見て、クズだな、嫌いだな、と思った。なぜかこの話をする間だけ関西弁を使っていて、ますます鬱陶しかった。なるほど、こんなのがいくらシェイクスピアの良さを語っても、私には響かないわけだ。

世界のなんとかの後を継いでなんとかの二代目芸術監督になったらしいが、世界のなんとかの演出も嫌いだったなぁ。灰皿を投げられて育った「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」の人も、水谷豊と相棒を解消して疑惑だけを残して日本を去ったとかいうあの人も、演技が苦手だった。

あぁ好きなもの同士は集まるんだな、と思った。

付き合ってあげる

雑記

帰りの電車で会社の女上司に遭遇した。

家に帰る前に一冊本を買って喫茶店に行くのを人生の歓びとしている人で、帰る方向は違うのだけれど、乗る電車が同じなのだった。今年の三月に異動したからもう会わないと思っていたのだが、実はそれからも何度か見かけたことがある。私はその度、気付かないふりをして気付かれないように隠れていた。何故かって? つまらない自分語りが異様に長いからだ。

NOといえない日本人である私は、その喫茶店に付き合いで行ったことがある。おごりのコーヒー一杯で3時間、ぶっ通しで話を聞き続けた。オシッコを我慢しすぎて身体が震えて、脳が痙攣するような感覚に陥った人、いますか?

それからというもの、また機会があれば、なんて言いながら、なんとか喫茶店の話をしないように話の流れに注意し、仮に誘われたときは下手くそな言い訳を咄嗟に捻り出して、残念ながら行きたいのに行けない感を演出していた。まぁその苦し紛れ具合が、ある意味露骨なお断りにしか聞こえないレベルのものなのだけれど、そこが彼女の普通じゃないところで、これを額面通りに受け取って、隙あらばこちらをお茶に誘ってくるのである。

それで、とうとう彼女に再会してしまった。彼女がこの車両に乗ることを知っているから、私一人なら違う場所から乗車するのだが、最近何故か同じ仕事場のオッサンと一緒に帰ることになっていて(早く帰りたいのに歩くのは遅いし、そのうえ隣でタバコを吸いやがる)、このオッサンが決まった位置で乗車するものだから、もうどうにも逃げられなかったのだ。

うわぁ、久しぶりですねぇともの凄く嬉しそうな顔を自然と繰り出せる自分を素敵だと思った。短い車内の時間であれやこれやと話を聞かされた末に、言われた。「お茶ぐらいなら付き合うけど」。

「付き合うけど」とは何だ、まるで私が行きたいみたいじゃないか、と一瞬凄く腹が立った。いま思えば、行きたい演出をしていたのは私だったのだから、そういう表現になっても仕方なかったのかも知れない。

が、そんなことに頭を使っている場合ではない。なんとかして、お茶に行くことを回避しなければならない。それで私は1年ぶりに、また下手な言い訳を捻り出した。母が仕事を変わって帰りが遅いので(本当)夕食を私が作らなければならない(大嘘)と。

あぁそうそれは大変だ、じゃあまたね、といって、彼女が去り際に、簡単に作れる料理の話をし始めたので、私はとても複雑な気持ちになった。自分の嘘の下手さに嫌気がさし、それを信じる彼女が不憫でもあり鬱陶しくもあり、私のことを思って話してくれているんだから聞いてやりたい気持ちもあり、もう人の話を聞くのはウンザリという気持ちもあり。悪い人ではないだけに(いい人でもなかったが)、こちらが凹むのである。

まぁなんだ、これが20代の可愛い女の子だったら、お茶くらいいくらでも付き合うのだが、世の中上手くいかないものだ。嘘。若い女の子とお茶なんて緊張するから私はきっと行かない。