京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『嘘の戦争』

『嘘の戦争』 草彅剛 藤木直人 ほか

幼い頃、目の前で家族を殺された主人公・一ノ瀬。周囲の人間に真実を訴えるも、事件は父親による一家心中と処理された。それから30年後、人に信じてもらえぬなら嘘をついて生きてやると誓った少年は詐欺師になっていた。「仕事先」のタイで犯人の一人を偶然見かけた一ノ瀬は彼に近づき、かつての事件の黒幕が大企業グループの会長・二科であることを突き止める。一ノ瀬は二科を嘘で破滅させることを心に決める。

過去の因縁に決着を付ける、嘘に嘘でけりを付ける、というコンセプトは燃える。事件の全貌はかなり初期の段階で明らかになるので、秘密の開示ではなく、ストーリーを語ることに重きを置いているのが分かる。

一話につき事件の関係者を一人片付け、新たな関係者が浮上するという「読み切り」を繰り返す形。主人公は押す一方、黒幕の側が引いたり押し返したり、で全体の話も進展していく。ミスリーディングが露骨で、逆に展開が読めてしまうという矛盾したベタさがあるが、予定調和なストーリーテリングは物語の面白さに影響しないという良い例だ(cf.『映画理論講義』第3章 4項(1))。ドラマなんて所詮誰かの作り話なんだから、秘密なんか何でもありで、後からどれだけでも付け足せる。とはいえ、主人公である「天才詐欺師」のやり口は大胆というのか雑というのか、それでいて随分都合良く話が進むのは気になるところ。

サブストーリーに恋愛を足す、というのもベタだが、配合比率が上手い。山本美月のキャラがモテない男の心をくすぐるので、私もくすぐられる。彼女に嘘の全てを告白するシーンは、クライマックスに匹敵する緊張感があって、きっと脚本家は書いていて気持ちいいだろうなぁと思った。

最終回は少し物足りないというか、色んなものを有耶無耶にして押し切ったなぁという感じ。市村正親は目に見える形で破滅はしなかったけれど、早晩追い詰められるだろう。しかしそうすると、藤木直人が必死で守ろうとした会社だってたち行かなくなるのでは。そのあたりも、あまり触れずに、あるいは都合良く処理されている感じがどうも。まぁ、これはそんなに難しく考えて見るドラマではないか。

ラスト、嘘だってずっとつき続ければ、一つくらい本物になるかもな、というのはまさにドラマという嘘の本質を突く台詞だった。結構楽しませてもらいました。

さよなら今日の日

あるドラマを見ていたら、社会人としてちゃんとしていくのも大事だけど、そんなこといって夢が実現できなかった人をたくさん見てきて、もうこうなったら飯食えないの上等だよみたいなことを、ある人物が言っていて、同じ思いを持って、似たような内容を面接で話したのに、その台詞を書いた人に落とされたっていうのは、どういうことなんだろうと思うんだけど、あんまり考えると凄く辛いので、今日はここまで。

試験に出る「中条」 傾向と対策

試験でしばしば問われる「中条」について、簡単にまとめておきたい。

<頻出事項>
宇津井健とガードマンをやった後、港警察署であぶない刑事のタカとユージを課長として指導したタヌキが中条静夫
三田村邦彦と一緒に三味線の糸で闇の家業を営んだ後、カラオケ講師をしながら現代の仕事人として事件を解決していたのが中条きよし。
菅田将暉と川辺で話す池松壮亮に片思いした後、広瀬すずとチアダンスでアメリカに行ったのが中条あやみ

<公式>
名前が漢字の場合、名字は「ちゅうじょう」と発音する。
名前がひらがなの場合、名字は「なかじょう」と発音する。

<覚えてしまおう>
中条静夫は「ちゅうじょうしずお」。
中条きよしは「なかじょうきよし」。
中条あやみは「なかじょうあやみ」。

余談だが、中条あやみチュートリアルの徳井に似ていると思う。チュートリアルの徳井は、東出昌大に似ていると思う。ということは、中条あやみ東出昌大に似ていることになる。まぁ、誰の賛同も得られないのだが。

『ラ・ラ・ランド』

『ラ・ラ・ランド』 エマ・ストーン ライアン・ゴズリング ほか

女優を目指すミアと、自分のクラブを持ちたいジャズピアニストのセブが、出会って惹かれ合って、互いに夢を実現するも、結局二人は一緒になれなかった、という切ないミュージカル映画

負け犬が失敗と成功を繰り返し、いよいよ挫折するが最後に大成功を収める、という極めてハリウッド的な構成の、ミアとセブの2本のストーリーラインがある。この2本がところどころ恋愛によって交わり、互いのストーリーに影響を与える。と同時に、それぞれの浮き沈みが絶妙にずれることで、二人は永遠の愛を誓うに至らない。

もしこれが、成功しました、恋愛も成就しました、ならただの馬鹿アメリカ映画だが、作り手はそうしなかった。その上で、二人は結ばれないのだけれど、作り手は二人の"if"を描く。この演出のなんと効果的なことか。夢を追い求めた末に、手に入ったものと、手に入らなかったものが、鮮やかにドラマチックに浮かび上がる。映画にしか出来ない仕事だ。

正直、寸前まで見るつもりのなかった本作だが、いくら予告編を否定的に見ていたあのときから私の状況が変わったとは言え、オープニング早々泣かされるとは思わなかった。「脚本を書きたい」という夢を持っていて良かったと、素直に私は思った。映画字幕用の思い切った翻訳だけれど、「夢」はこの歌詞に凝縮している。

Or when my money's running low

The dusty mic and neon glow
Are all I need

And someday as I sing my song
A small-town kid'll come along

That'll be the thing to push him on and go go

オーディションに落ちても貧しくても
舞台に立てば力が湧いてくる
いつか僕の歌を若い子が聞いて
背中を押されたらすばらしい

文句がないわけじゃない。あのピアノのフレーズは多用されすぎでちょっと食傷気味だし、クライマックスまでのシナリオ構成は、巧みとはいえ意図が透けて見え過ぎていて、ラブストーリーとしてはだいぶ青臭い。肝心のミュージカルのレベルも決して高いわけではない。

でも、こういう作品は日本ではまず作られないだろうし、作られても恥ずかしくて観てられないんだよね。私たちはアメリカのことを知らないから観ていられるけど、これを日本人がやってると思うとやっぱり小っ恥ずかしいでしょ。目鼻立ちが平べったいとか、体型が不格好、という話じゃなくてね(それもあるだろうが)。これを恥ずかしいと思わずに作って、恥ずかしいと思わずに観ていられるアメリカ人が羨ましかった。英語勉強したいと、また思った。

聞くところによると、本作には過去の名作のオマージュと言われるものが多数ぶち込まれているらしい。まぁいくつかはなんとなく分かったが、この程度の知識しかなくても当然、楽しめる。多分、今年一番好きな映画を観てしまった(本年二回目)。

クールジャパン

夢を見ていた。最初は夜中に家を抜け出して、京都駅のような黒くて無機質な駅っぽい場所をぐるぐる回って締めのラーメンを食おうとする、みたいな話だったんだけれど、場所はそのままでだんだん別の形を帯びてくる。

世界に向けてクールジャパンを喧伝する少し変わったアーティストを発掘するといった番組で、マツコ・デラックスが司会をやっていた。私はそこに参加するアーティストの一人で、継目なしにどんどんとアーティストが登場するという番組の演出上、私の前に出ていた人と、私の後に出てきた人のパフォーマンスも目にすることになった。まぁ、夢はいい加減で、一人目については私にバトンタッチされるまで、その人の目線で夢が進行していく。

その一人目は、音楽を聴くアーティスト。『牡丹と薔薇』でおなじみ岡本知高みたいな白い衣装を着た、アーティスト気取りのいけ好かない金髪の兄ちゃんで、音楽を聴きながらノリノリで駅の中を歩き回るというだけのパフォーマンスだ。その音楽に合わせるかのようにイルミネーションが点灯し、それをさも自分の手柄のように、指揮者のごとく手を振ったり、なんかよく分からない合いの手を入れたりしながら、同じ場所を何度も歩いて、最後にマツコのいるスタジオに入ってくる。

こともあろうにマツコはしきりに感動していて、これはクールジャパンだわ、なんて言い出す。アンタが一番、毎度のパターンで否定するタイプの人間じゃないか、と私は思いながら、既に自分の番が始まっていて、そこで二人目としてパフォーマンスを始める。

円形のスタジオで、トイレットペーペーのロールを投げて、俯瞰で見ると花の模様になっているという芸だ。これがまた恐ろしく雑な芸で、仮に綺麗に出来たとしても、あまりに単純なものだから、さっきの音楽を聴くだけのアーティストの方がまだマシなのかも知れないと思いながらやっている。それで、途中でトイレットペーパーもなくなり、スタジオに無造作に芯だけが転がるんだけれど、マツコの横にいたアシスタント役の女子アナがそれを拾おうとするんで、私が絶叫する。その転がった芯すらアートなのだと。マツコが苦笑いしていた。そりゃそうだろう。

そうすると間もなく、おのおのが思い思いの格好をしたエアロビダンサーのような人たちがワラワラと出てきて、第三のアーティストの番が始まったらしいと分かる。私はその場から立ち去るタイミングを見失って、端の方にいたのだけれど、やがて現れた三人目のアーティストに捕まってしまう。

彼は、肩に手を触れただけで人の緊張した筋肉を緩めてしまう姿勢矯正アーティストで、細身で背が高く、名古屋の大学院を出たというのが売りの、神経質そうな男だった。さっきのエアロビダンサーたちは、彼の患者兼弟子たちのようだった。目の前でひとりユルユルに解されてしまったのを見て、んなわけないじゃん、と思っていたら、私も彼の術で身体が緊張から解放されるので驚くのだった。

そしてひと言、良かったら私のところに来なさい、といわれて目が覚めた。