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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

眠りたくない夜

仕事に行くのが嫌すぎて、寝たら明日が来るしとか思って、ついつい夜更かししてパソコンで動画とか見ちゃうわけ。外付けHDDを出してきて、過去に保存した音楽やら動画を再生してると、夜中ゆえに妙にテンションが高ぶってくる。

キンキーブーツを聞いてると、あぁ本当に良かったなぁって観劇して感激した記憶が甦ってくるし、その次に『カリオストロの城』のED曲を聞いてると、キンキーブーツとは全くテイストが違うのに、これはこれで素晴らしい。世の中はなんて素敵なもので溢れていているんだろう、ってそりゃ自分の好きなものだけを収めたHDDなんだから当然なんだけど、どうにかしてココに自分で作ったものを加えられないか、とやっぱり思うのはそれである。

物語と不可分な音楽

普通のことをいうけれども、音楽って大事だよな。いまドラマでも映画でも舞台でも、音楽なしのものなんて考えられない。音楽はもやはストーリーの一部ではないか。ストーリーを生かすのが音楽であり、しかしストーリーによって音楽にも命が吹き込まれる。

好きな音楽は何? とか、好きなアーティストは何? と聞かれる。まぁそういうものが無くはないのだが、私に関していえば、音楽は必ずストーリーとセットで好きになる。感動した映画に使われていたもの、どこか遠出をしたときに耳に入ってきたもの、誰かと一緒に過ごした時間に聞こえてきたもの。音楽を聴けば、一瞬にしてストーリーが甦る。

音楽自体にストーリーがある、というのもまた良い。それは、歌詞にストーリーがある、ということにとどまらない。その音楽を聴くと、勝手に情景が浮かんでくるような音楽である。耳で聞いたものが視覚に変わるのだ。ただし、それは実際に作者の見た景色である必要はない。

クラシック音楽など、したり顔の高尚な連中たちが、作者の生い立ちやら時代背景やら蘊蓄をたれながら、こういうストーリーの音楽なのだ、と解説をおっぱじめるが、こういうのはクソだと思う。

芸術に良いも悪いも無い。だから、偉いも卑しいも無い。好きか嫌いかだけで良いし、そういうストーリーに馴染めないからといって卑屈になることは無い。自分の物語にもっと自信を持たなければならない。

読心術を使う人

私が実年齢より必ず若く見られるのは、自分でも自覚している幼さが原因である、ということは折に触れて愚痴っているけれども、「幼い顔してるのに『自分は若い顔』と勘違いしてる社会経験のないおっさん」などというタイトルのスレッドを立て、人の心を上手に抉る鋭い観察眼の持ち主はいるのだなぁと感心する。

その内容も、そういう幼い顔は実家暮らしだとかニートだとか容赦なくて、それが的確なだけに、いちいちぐうの音も出ないわけである。それで、なかなか年取らんよな、とか思ってたら肌の張りツヤとか体型体力に衰えが出てきたのを感じる瞬間があって凹む、なんていう個人的にタイムリーな心の動きまできっちりカバーするエスパーぶりである。

馬鹿にされて腹が立つ、というよりは、繰り返しになるが感心する。どうしてそんなに人の心が読めるんだろう。考えてみれば話は単純で、要するに私は凡人なんだろう。それで人に思考パターンを読まれてしまっている。ただそれだけのことなんだろうな。

クローンのある未来

あるブログを読み返していた。この人、天才だと思う。世の中、天才ぶる人は多く、それなりのポジションにいたりして、ますます皆に天才と囃し立てられ、中身はないのに調子に乗っているような連中は多い。別に私が目利きだと言いたいわけじゃなくて、というと、私が天才と呼ぶ人には失礼だけれど、私は唯一絶対の原則である「自分の好き嫌い」に則って、そういう連中からの影響を排除し、私の思う天才に惚れていたい。

この人の書いたものは書籍・ネットを問わず集められるだけ集めて読んできたが、改めて読んでビックリしたのは、私が以前から考えていた、創作の要諦に書き手の「演技力」が大いに関わっているということについて、既にそのものズバリを論じていたことだ。だからこの人のファンは辞められないし、一回頭の中覗かせて欲しいし、どうやったらこんなに賢くなれるのか知りたいし、賢くなれないのは分かっているけれど、どんな風に勉強してきたのか、これまで読んだ全ての本とか、教えて欲しい。

クローン技術で私のポンコツクローンを作り、しこたま勉強させて、せめて秀才にしたら、そこに私の精神を同期させて、いまの私は死んで人生をやり直したい。っていうか、眉目秀麗に生まれたいから、クローンじゃ無理だわ。

そんな話はともかく、本や文章を読むというのはまさにこういうことで、全く未知の話なんか本には載っていない。本を読めば、必ずそこで自分に出会うことになるのだ。

幻の港町

少し小高いところを電車で走っていると、向こうの方に山が見えた。山の手前には街が広がっている。あれ? と思った。こんな近くに海なんかあったっけ。違うのである。山の中腹を濃い雲が上手に隠して、その雲から山の上半分だけが出ている。その様子が海に見えたのだ。半分だけ見える山は半島のようで、雲の部分が海、手前の広がるのは港町だ。まるでボブ・ロスが描いた絵のようで、ん? んん?? と何度も確かめたが、何度見ても海に見えた。

いつか同じ電車に乗って大きな虹を見たとき、誰かとこの虹の話がしたいと思った。今日も、誰かにこの幻の港町の話がしたくなった。ちょうど私の隣にいたオッサンがツレ(関西では友人・仲間の意)に、海が見える、と話をしていたのだがあっさり無視されていた。あぁ私ならその話を分かってあげられるのにな、と思ったが、もちろん話し掛けはしなかった。