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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『映画理論講義』 第4章

脚本術・映画学・物語論

『映画理論講義』 J. オーモン ほか

目次

第1章 視聴覚的表象としての映画
第2章 モンタージュ
第3章 映画と物語
第4章 映画と言語活動
第5章 映画と観客

第4章 映画と言語活動

I.
1.
 映画を言葉による言語活動と対比させ、それを新しい表現手段として定義しようとした→万国共通性をその本質的特徴とする。
2. 
バラージュ……映画言語を特徴づける4つの原理
・同一場面でも、観客と舞台の距離が変化するので、画面の枠と構図のうちに占める場面の大きさも変化する。
・場面全体の全景が、細部のショット群に分割される。
・それらの構図法が変化する。
・編集とは、細部のショット群を一定の順序につなぎ合わせること。
プドフキン……モンタージュの機能を体系化。本物の空間を様々な場所で撮影された各々の要素を結合して1つの映画的空間に編成する。
トゥイニャーノフ……目に見える人間・事物は、意味的な記号として与えられたとき、映画芸術の要素となる。
エイヘンバウム……映画を全く言葉によらない芸術と見なすことは不可能。他の芸術同様、特殊な比喩の体系をなしており、読書とは反対のプロセス。目に見えるものから、その意味づけや内容の構成へと向かう。
3. 第一次大戦後、映画が芸術として認知されるようになる。
映画の文法とは、映画作品を構成する、動く映像の連続によって正しく観念を伝達するため、技術を統括する諸規則。→言語による言葉のスタイル・美学を踏襲→透明性(技法が見えないこと)、リアリズム(真実だという印象を与えること)
ショット⇔単語/ショットサイズ⇔品詞/文⇔シークエンス/フェイドアウト、ワイプ⇔句読法……と考えられる。但し、両者は必ずしも同一視できないので、飽くまで言語の文法にヒントを得た、と考えるのがよい。
4. 映画言語→物語を語る、観念を伝える必要性から発生。実写映画、非物語映画には、映画言語はない。あるいは、同様の構造のものを持つと仮定する。
(1) 映画における言語活動を、伝統的な映画言語と捉える→言語レベルから、文体レベルに移行。
(2) 映画言語を物語的および表現的な諸技法のリストに還元し、それのみに固定すると、映画言語の存在を全否定することになる。→記号学的な観点を取り入れ、言語活動の概念を拡張し、検討する必要がある。
5. 映画はまず表象であり、それに支えられて言語活動になる。映画言語は話される言語とは異なっている。→記号学によって、相違点・共通点を解明する。(現代思想って言うの? 構造主義とか記号論とか、私嫌いなんだなぁって最近はっきり分かった。)

II.
言語は、言語活動の一部である。(まぁ、分かるけどさ、面倒くせえええ!!)
1.

(1) 言語は、1つの文化共同体に固有。映画言語には、そのような固有性はない。(映画に文字が出てきたりするけどね)
(2) 言語は、話し手と聞き手が入れ替わる。映画では不可能。
(3) 映画は現実の「写し」なので、シニフィアンシニフィエが、その類似性によって強度に結びつく。
(4) 映画の知覚は、作品の進行していく際の線状性によって特徴づけられる。一方で、離散的な単位が存在する。
(5) 映画的言語活動は言語と異なり、「二重分節」に類するものが見られない。
2. 映画的知覚において、観客が映画を読解することを可能にするものが存在する。→「言語活動」という語が用いられる。
(1) 視覚的理解は、類似性を構成する諸コードの総体による。
(2) 認知された視覚的対象は、名前を付けられる(=命令)というコード変換によって、完全に認知される。(言語は、特権的位置を占める=メタコード的)
(3) 映画特有の意味形成=モンタージュ。2つの系列の映像を交互に繰り返すと、2つのアクションが同時に起こっているという観念を生み出す。

III.
映像+音声・音楽→複数の表現素材を組み合わせた、不均質な言語活動。
1. 「表現素材」=シニフィアンの物質的特性をなすもの。
2. 「コード」は複数のテクストに有効なシステム。真の形式的モデルではなく、形式化を目指して考え出された統一体。
3. 映画においてしか成立し得ない意味形成の形態は、映画に特有な表現素材と結びつく。
4. 映画=無数の「映画非固有のコード」(物語特有のコード全て)と数少ない「映画固有のコード」が出会う場。

IV.
1. 記号学は映画作品を「意味する対象」、「言語の単位」として捉える。
「映画作品のテクスト」を語ることは、映画作品を意味する言説として捉え、その内的なシステムを分析して、そこに見出される意味形成の形態を明らかにすること。
・映画的コードを、表出する「メッセージ」として研究する方法。
・一本の映画作品に特有なシステム(理解可能性)を研究する方法。
2. 例えば『イントレランス』の並行モンタージュ→作品特有の主題体系と切り離せない。
3. 作品は手の内に収まるが、テクストは言語活動のうちに存在する。→前者は特質性やその生産行為を規定した諸々の具体的要因を語ることが出来る。しかし、後者は言語活動そのもので、それを介さずに存在し得ない。
4.
(1) テクスト分析の特徴
・形式や意味形成の諸要素を明確にする。→「意義深い細部」への関心。
・自らの方法論を常に問い直し、分析の全ての段階で、理論的な自己反省をする→方法論の重視
(2) 作品そのものの入手困難性、記憶の曖昧さ、が分析を困難にする。

本書の中で最も読むのが辛かった章。馬鹿だから理解できない、というのもあるだろうけど、とにかく興味が持てない話なのが辛かった。さぁ読むぞ、と勢い込んで読み始める、しかし気付くと文字の上を目が滑っていく。分かりますか、この感じ。アイスクリームを食べるときに、スプーンですくうでしょう。食べ頃のアイスは、うまくスプーンに引っかかってくれる。でも、冷凍庫から取り出したばかりのアイスはカチカチで、思い切り力を入れても、スプーンに引っかかるのはほんのわずか。力を入れなきゃ何も食べられない。まさに本章は、この「カチカチのアイス」なんですわ。と言うわけで、ほとんど読むことを放棄してしまって、たまに引っかかるわずかのアイスを食べて、よしとすることにした。「読めた部分」しかまとめていないのは他と一緒だけど、特に読める部分が少なかったことをここでお断りしておく。何にせよ、制作や創作とほとんど交わらないのが退屈だ。では、今回はここまで。

映画理論講義―映像の理解と探究のために

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