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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『ハリウッド白熱教室』

ハリウッド白熱教室 ドリュー・キャスパー

USCの教授が映画について講義をするというテレビ番組を本に起こしたもの。マイケル・サンデルだっけ? の倫理学講義がヒットして似たような企画で番組が作られているみたいだが、その内の一つか。

教師が生徒たちを授業に巻き込んでいくという授業スタイルが、教師が生徒に教示するという授業スタイルに馴染んでいる我々には新鮮だった、というだけで、よく見てみると教師は自分の持っていきたい方向に巧みに(ときには強引に)誘導しているし、そうやって生徒に発言させる機会をたくさん与える分、情報の密度が減る。しかも5回分しか講義がないから、内容は知れている。そこそこの範囲を浅くさらう感じ。大学教授ともあろう人が講義中に「映画制作とはセックスみたいなものだ」とか言ってしまうのがさすがアメリカというか。NHKで放送されたときはどう吹き替えられていたんだろう。

脚本を扱った第一回目の講義にだけ触れておこう。

教授はまず「主題」と「テーマ」について語っているが、これは翻訳者の仕事が悪すぎるのでは? 恐らく"subject"を「主題」と訳したんだろうが、これじゃ「テーマ」との意味の差が感じられない。内容からしてここは「題材」と訳すべきだろう。そして次のようにまとめる。
・「題材(主題)」は何についての映画か、ということを意味する。
・「テーマ」は「題材」についてどう考えるか、を意味する。
例えば、トリュフォーが木を題材にした映画を撮ったら、テーマは喜びだ、というように。分かりますか? 私は分かりません。というか、「テーマ」という言葉は使われ方がいい加減すぎるんで、この教授の話も多くのうちの一つにしか聞こえない。

これは、最後に触れている「モチーフ」と「引喩」についても同様。この二つを使って、主題(題材)やテーマを表現するのだという。では、「モチーフ」とは何か。シンボルがそのもの自身の象徴を表すのに対して、モチーフはそのもの自身を越えた存在だ、という。例えば繰り返し現れるセリフや単語はモチーフとして機能し、作品に一貫性がもたらされるとのこと。

さらに「引喩」は、例えば映画の中で映画が引用されるような方法のことで、『ショーシャンクの空に』で主人公たちが見る映画がまさにそれなんだと。ここら辺は引喩の解説と言うより『ショーシャンクの空に』の評論になってしまっていて、「モチーフ」と並列させるには「引喩」という手法はスケールが小さすぎるように思う。

プロットに、直線構造(はじめと真ん中と終わり)、エピソード構造(飛び飛びにエピソードを連ねる)、コンテクスト構造(共通する文脈という視点でエピソードを繋ぐ)があり、このときの一連の構成を「ナラティブ」という、という話はこれらの言葉も含めて初めて聞いたが、これ一般的なのか?

と、こんな具合で、仕方ないこととはいえ、どれもが中途半端で、どこまで信用していい話なのかもよく分からない。そして、あまり使える内容は載っていない。こんな本を読んでも前書きに宣言するように映画を「味わい尽く」すことはできないし、そもそも、ここは照明がこんな風になっているから、なになにを表現しているんだな、とか考えながら映画を見ることが果たして映画を「味わう」ことになるのかは疑問。物語の世界につかり込んで、映画を見ている自分すら消えてこそ、味わったと言えるのではないか。

まぁちょっとした映画好きを自称する人間が、まったく映画を見たことのない人間に、したり顔で映画を語るにはちょうど良い本か。

ハリウッド白熱教室

ハリウッド白熱教室