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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『逆鱗』

『逆鱗』 松たか子 瑛太 野田秀樹 ほか

野田地図 3/24 19:00開演 シアターbrava(大阪)

野田秀樹の舞台はこれで2度目。前に観たのは『エッグ』だった。戯曲の構成としては『エッグ』の方が独創的で面白かったけれど、演劇としては『逆鱗』の方が楽しかった。

『エッグ』は前にも触れたけれど、私には戯曲の構成が円形になっているように思われるのね。それぞれのエピソードが同心円として配置されていて、どんどんと核心に近づいていく、という形。前の円の意味が、次の円で明らかになり、その円の意味がその次の円で、そしてとうとうすべての円の意味が中心部によって明らかになる。

一方、本作『逆鱗』は線形だ。始まりから終わりまでを一直線で駆け抜ける。とはいえ、一本の綱は、数本のヒモで縒り合わさっていて、その方法は極めて演劇的。虚構と現実を頻繁に行き来することで、もはやどっちがどっちか分からなくなってくる。そんなごちゃ混ぜになった世界の抽象的・象徴的なものの意味が、最後には一気に明らかになる、というのが野田秀樹の基本線なのだろう。

もし演劇を初めて見るなら、野田秀樹の演劇は難しいと思う。はっきり言って「意味不明」の一歩手前まで来てしまっているからだ。演出の妙と役者の演技、それから戯曲のギリギリの平衡感覚で成立しているに過ぎない。成立してしまっているといった方がいいのか。だから唯一無二だ。この危うさを野田秀樹はものにしているが、凡才がこれをマネすれば、それこそ悲劇だろう。

さて、『エッグ』が「731部隊」の比喩・象徴だったように、『逆鱗』もまた比喩・象徴である。この比喩と対象の距離が、多少の強引さも感じないわけではないが、やはり巧い。そこから物語を作ろう、という発想がとても知的だ。私に最も無い「知性」を思わせる。

ただし今回は二度目。実は「人魚」が何を意味するかは、劇が始まってすぐに分かってしまった。もう戦争はないだろうと思ったけれども、また戦争なのである。これは人間魚雷「回天」の話だ。登場する人間たちはその乗組員で、登場する人魚たちは彼らが乗った魚雷なのである。あのアナグラムは見事にやったなと思う。本作は『エッグ』に比して、言葉遊びがものすごく多い。野田秀樹の面目躍如というところか。

演技はやはり松たか子が上手い。それから瑛太。こんなに芝居が上手いとは思わなかった。オープニングで松たか子に引き込まれ、エンディングで瑛太に持って行かれた。それから感心したのはやはり演出で、頻繁な場面転換を海中を泳ぐ魚の群れで表現するってのは、本当に演劇センスが光ってるなと思った。

「あー、なんか怖いな、嫌だな嫌だな」と思ってたら「うわー、そういうことか」っていうのが今回はなかったから、interestingという意味では『エッグ』には一歩及ばないけれども、舞台としてはこっちの方が楽しかった。あと、戯曲の点で『エッグ』は発想が天才型だから、思いつきさえすれば書けそうな気がするのに対して、『逆鱗』は秀才型で、よっぽどの経験が無いと書けないだろうな、と思った。ただ、「戦争」っていう社会的枠組みを使うことでテーマに重みを出しているけれども、これがないと案外薄いかもしれないな、とも思う。

こういうのは「三部作」とか言われるのが常だから、さて次は何をモチーフに書くんだろう。特攻はないだろう。広島長崎もベタで無いと思う。出身だし長崎はあるかな。北方領土か、慰安婦は微妙だしなぁ、南京もちょっとナイーブで、ここら辺を題材にしたら私はがっかりする。日本も実は核爆弾を開発しようとしていたとか、そこら辺かなぁ。なんて考えていたら眠れなくなった。

ちなみに観劇前に店に入って飯を食っていたら、途中で入ってきて隣に座ったのが、この舞台の演出家の人でした。言わずもがな、あの人、っていうかこの人です。思わず二度見したわ。プライベートだったから一言だけお話しさせてもらったけど。