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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

政治すら好き嫌い

大学時代は法学部で、ゼミは政治史を取った。当時は韓流ブームで、まぁ今となっては若かったなぁとしか言えないが、一体どの面下げて日韓友好とか言ってるんだろうと思っていた(まぁ国としての日韓友好を信じていないのはいまも変わらないが)。私はもちろん日本の側に立ちたいけれども、そうするにしても、歴史のことをハッキリ知りたいと思った。本当に政治的に正当性を主張できるのはどっちの何なのかを知りたかった。それでハッキリと分かったのは、それはハッキリとは分からないものだ、ということだけだった。

要するにさ、みんな好き嫌いでモノを語るわけ。意見をぶつけ合って、発展的に解消することはない。一方が一方を論破しようとする。そうすると、一応どっちかが勝ったり負けたりする。で、それでおしまい。負けた方が考えを改めることはない。これをずっと繰り返している。結論が常に最初にある。その結論が好き嫌いによって決まってしまっている。History is story ということだ。

それからというもの、政治はどうでも良くなった。投票だって馬鹿馬鹿しい。もちろん自分の考え方に合う政治家や政党はある。あるけれども、すべてが合致するわけじゃない。しかし、考え方の一部にだけ投票することは出来ない。そうすると、それは要するに白紙委任でしょう。にもかかわらず、有権者の得票を根拠に好き放題やる。お為ごかしと尤もらしい正当化が息を吐くように口から出てくる。政治家というのは一番嫌いな人種かも知れない。

もっともっと平たく言うと、個人がみんなバラバラの人生を抱えて生きているのに、徒党を組んで何かに対して正しい正しくないの方向性を付ける、ということが、いよいよアホらしくなってしまったのだ。そんなもんに熱くなるなら自分の人生を生きろよ。もっと楽しいこと見つけろよ、と思う。

お前に言われちゃおしまいだ、とみんなに言われるだろうから、こういうところでぶちまけるわけです。