京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

夢は高等遊民

仕事しながら同じことをまた考えていた。

一日みっちり8時間拘束され、ほっこりお茶を飲んだり、まったり歓談したりも許されない私がいる一方で、ゆったりお仕事をして、たっぷり給料をもらって生きていける人がいる。どうしてこんなにも不平等なんだろう。かの福沢諭吉は言った。その不平等は学問の有無から生じるのだと。確かにその通りだと思う。でも、諭吉は間違っているね。学問の有無は、やはり経済力と、それから何より、生まれ持っての能力がものを言うからだ。四民平等で身分差が(建前としては)なくなったけれども、それが能力差に変わっただけ。能力差も突き詰めれば結局、身分差と変わらず宿命的でしょう。

朝、スーツを着て仕事に向かう大人たちを見ていると、分からなくなる。彼らは何を思っているのか、何を考えているのか。本当はどういう風に生きたかったのか、はじめからそういう風に生きようと思っていたのか、生きる目的があるのか、生きている意味があるのか、何か目的があるのか、何か目標があるのか、いま生きていて楽しいのか。みんな、自分の人生を一体どう感じているんだろう。

私は昔から、少なくともこの15年、楽しいといえる時間が1秒だって無かった。楽しいといえる人生が私の目標だったとすれば、もう目指すものはなくなってしまった。順風満帆に思い通りの人生を歩んでいるごく少数の人を除いて、その他大勢の普通の人たちが、一体何を思って生きているのかが分からない。なんで生きてるんだよ、死ねよ、という意味じゃない。純粋に、彼彼女らの頭の中が知りたいだけだ。