京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

何もできないということに向き合う

スポーツは筋書きのないドラマだ、とかいう人間がいるけれども、筋書きどころかテーマもない。勝ったか負けたか、というだけ。強いてテーマをあげるとするなら、頑張って練習したから勝てた、というだけ。しかしその単純なテーマを疑ってこそドラマじゃないのか、と思う。

私は運動することは嫌いじゃないけれど、勝った負けた・記録が出た出ないのスポーツには全く興味がないし、ましてそんなものに勇気を得ることなんて一切ない。運動は心身を鍛え己を律するためにするものだろうに、法外な金を受け取ることが当然のようになっていて、挙げ句の果てに賭博だ薬物だ、と人間として堕ちていくばかり。

だからといって、ドラマ(劇)がスポーツに比べて高級で尊いのか、といえばそれもまた疑問。私はドラマの方が圧倒的に好きだけれども、いざとなったら、こんな嘘、何の役にも立たない。住む家がなくなり、食う飯に困り、着るもののままならない。そんなとき、ドラマになんて、何もできない。大切な人を失った悲しみが、ドラマごときで癒やされるわけがない。

結局、人は他人を理解できない。大きなものの前には屈せざるを得ない。それを諦めと捉えて反抗するのか、謙虚と捉えて粛々と生きていくのか。人それぞれだけれど、それぞれが生きやすいように生きられたら、と思う。