京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

無駄な文章が書けない

凄い表題だ。お前は無駄な文章しか書いてないじゃないかと、私の中の私が叫びまくっている。しかし、そういう意味じゃないんだ。

文章が上手な人は、伝えたいことだけを書かないでしょう。落語で言えば、枕があって、本題があって、そこにくすぐりを入れて、いよいよ落とす。私にはそういう芸当ができない。いきなり本題に入って、すぐにオチ。オチてすらいないときもしばしば。読んでる方もなんのこっちゃという感じだろうし、言っている方も言いたいことが全然言えていないような気になる。

長い文章が書けないのだ。私の文章が長くなるのは、一つの物事に対してあれもこれも言いたいときで、思いついたことを次々と書いているだけのとき。たとえば感想文。映画を観て、「感動した」「あのシーンはAという理由で」「あのシーンにもBという理由で感動した」「そうそうあのシーンはCだから良かったね」「この映画は面白かった」。私の文章はこんなのばかり。しかし、それはただ文の寄せ集めであって、文章としては機能していない。これでは箇条書きと本質的に変わらないのだ。

私が書きたいのは、一つの内容を伝えきるための、ある程度の長さを持った、まとまりのある文章。あれもこれも取り込んで表面をなぞるのではなく、浅いところから始まって深いところまでたどり着けるような文章だ。AですBですCです終わり。ではなく、AだからBであり、ゆえにCなのである、という深さが欲しい。内容的な深さはなくても、オチに至るまでの筋運びが上手くなりたい。そのために必要なのが「(一見)無駄な文章」なんだけど、これ分かってもらえるかな。

文章の書き方と名の付く本は何冊も読んだけれど、未だにダメだ。たぶん、何事も深く考えられない頭の悪さと、本当に伝えたいことなんてないという生来の無関心というか感性のなさが原因なのだろう。