京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

変人を自覚する人間は変人ではない

東大生はいわゆる優等生。100人いれば、会社の成績はぐんぐん伸びる。でも、それが頭打ちになったとき、ブレイクスルーするのはたった一人の京大生……みたいなイメージがないだろうか。東大生は正統派で、京大生は異端児だ、というような。

実際のところは知らんけど、東大といえば官僚が真っ先に思い浮かぶから、全員が権力を得るためにトップを目指して競争しているような気がして、一方、京大といえば研究者が思い浮かぶから、めんどくせえ競争なんかやめて、みんな自分の好きなことに熱中しているように思えてしまう。東大/京大と並び称されるから、どっちも頭が良くて、だから賢いのに好き勝手にやってるイメージの京大が、変人っぽさを思わせる、っていうことなんだろう。

しかし、私が気にくわないのは、変人気取りの京大生だ。「京大生は変人だから」と口に出す京大生は、そもそも変人である京大生の風上にも置けないと思う。というのも、あいつら、「変人」ということによって「世界に一つだけの花」的な価値と同時に、「京大生だから賢い」という世間一般の価値まで自分のモノにしてしまうからだ。そして、タチの悪い奴は、それによって「面白みのない、賢いだけの東大」より自分を高みに置こうとする。なんて卑怯なやり口だろう。

最近の折田先生像がちっとも面白くないのは、こういう自称変人京大生が台頭している証左だろう。賢いだけの奴は東大に行けよ。しかし、2015年に菅野美穂の写真を貼った奴は変人だと思う。

ちなみに、東大出身、京大出身の先生の講義を色々受けたことがあるけれども、東大出の先生の授業は面白いものが多く、京大出身の先生の授業はつまらないものが大半だったので、やっぱり東大はひと味違うな、と思っている。