京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

What's up?

年中暗い顔をしていると、たまに言われる。「何かあった?」。当然、私は答える。「何もないよ」。

「何か」がどの程度かにもよるが、何かあったとしても、まぁ人には言わないでしょう。人に言えば、少しは気も紛れる。相手がうんうんと聞いてくれて、そして二人で笑って話が終われるなら、話すのも悪くない。アイツにこんな目に遭わされたんだ、えーっやっぱアイツってサイテーだよね、だよねー、みたいなのとか。

しかし、内容が重たくなればなるほど、話すことは憚られる。まず相手が限られる。よほど親しい人間でもない限り、そこまで自分をさらけ出すことは出来まい。親しい人間であっても、こんなうっとうしい話、相手が聞いて困るのは明白だ。それで、「何ないよ」と答える。

ところが、「何もないよ」というのが額面通りの意味で、それが暗い顔をしている理由だ、という人間もいる。たとえば私。今日も昨日と同じように何もなかった。昨日もその前の日と同じように。その前の日もその前の日も。そうだった、私の人生には何もなかったのだった。溌剌としていたい。笑っていたい。大学に行きたい。友達が欲しい。恋人が欲しい。あの頃夢見た夢はとうとう叶わずじまい。それでも生きていれば、何か別の形で希望が叶うかも知れない、と思って、何とか生きてきた。でも、妥協したその希望すら叶いやしない。明日も今日と同じように、明後日は明日と同じように、弥の明後日は明後日と同じように、何もないまま時間は過ぎ去って行くのだろう。

プラスでもマイナスでもない、ゼロ。「何もないよ」と答える人の中には、そういう悲しみを持った人がいるかも知れない。