京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

そうであるはずなのに、そうでない

「笑い」を強引に公式化すると、「そうであるはずなのに、そうでない」とでも言えば良いのか。予想されるルールや規範があるのに、それが裏切られるときに、笑いが生じる。それで、規範定立の方法が問われる。

たとえば、社会常識という規範を利用するという方法。厳かな場にはそれ相応の服装を着て臨まなければならないのに、スッポンポンで登場、となると笑いが生まれるように。

それから、自ら規範を定立してしまう方法。誰でも操作できる機械に対して、Aさんが触ると動く、Bさんが触っても動く、それでCさんが触ると動かない、というように。発展系として、この「Cが触ると動かない」がお馴染みになってくると、それ自体を規範にして裏切る、ということも出来るようになる。逆に、Cが触って普通に動くのを、シュールな笑いと呼んだりするのだろう。

というわけで、最後に、誰かが創作した規範を利用する、という方法が挙げられる。平たく言えば、ネタを引用する、ということ。パロディとかオマージュというほど大層なものじゃなくて、もっと軽くパロっちゃう。たとえば『TRICK』なんてこればっかりだ。しかも、シーズンを重ねるごとに引用の割合が増えてくる。それでつまらなくなった。パロったのが悪いんじゃなくて、そこにオリジナリティを足さないから、そういうことになる。

こういう笑いは若者に好まれるらしい。現実世界でお馴染みのフレーズや固有名詞を劇中で使う、過去のドラマや映画・バラエティ番組をモチーフにプロットを組む、役者にかつての決めぜりふを言わせる、などなど。宮藤官九郎なんかはこれが得意。最近はまった『勇者ヨシヒコ』もまさにこれだった。そして、『TRICK』と同じ轍を踏んでセカンドシーズンがつまらなくなってしまっている。

第一期はあんなに大笑いしたのに。同じ事をやっているはずなのに、どうしてだろう。同じ事をやっているからダメなのかなぁ。多分、ちょっとやり過ぎちゃって(羽目を外し過ぎちゃって)、観る側が慣れてしまった(あるいはストーリーとか笑いの軸がぶれてしまった)ということなんだろうけど。ホントものをつくるのは難しいなぁと思う。