京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

人一倍創作力のない私

絵を描くのが苦手だ、と思っている。工作をするのも苦手。小学校の図工の時間は下手なのを自覚しつつも、それほど苦手を意識していなかったが、中学校の美術の時間はなかなか辛いものがあった。高校の時の書道もきつかった。もうずっと、美術・芸術と名の付くものからは距離を置いている。

しかし、小さい頃を思い出すと、よく絵やマンガを書いていた気がする。切ったり貼ったりも、よくしていた。もちろん、発想も貧困で、技術も拙劣。たとえば、ドデカい段ボールをひたすら切って、小さなメダルを作るように、才能の欠片も見られないものだった。ただ、書くのも、作るのも、嫌いじゃなかった。きっと、好きだったんだろう。その頃は、アイデアに溢れていた。

今思い出されるのは、中学に入って最初の美術の時間。クロッキー帳が配布され、その表紙を描こう、ということになった。周りが思い思いに絵を完成させていく中、私は、ずっと何も描けないでいた。何を書けば良い? 私を表すもの? そんなものがあるのか? そもそも私とは一体何だ? 周りから私だけを切り離して私として私を判別する何かが私にあるのか? 好きなもの? いや、私の好きなものは何だ? 私は何が好きなんだ? となってしまった(今思えば、すでに今の私の原型がここにある気がする)。絵画の技術不足を恥じるということに加えて、自分を表現し、それを見られることが怖くなってしまった、ということだろうか。それ以降、絵にせよ文章にせよ、「創作する」ということがまるで出来なくなってしまった。最初の一歩が出れば、あとは作業なのに、その最初の一歩がどうしても踏み出せない、という感じ。

そういえば、小学校六年生の頃に書かされた「詩」も七転八倒しながら書いたっけ。親がそれを読んで、結構面白いと褒めてくれた気もするが、「産みの苦しみを味わっている自分」を詠む、というよく使う手だった。小学校四年生か五年生の頃に刷った版画も、「版画を削っている自分」を題材にしていたと思う。この頃にはもう、私からアイデアを湧かせる能力は失われていたのかも知れないな。

そうだ、小学校三年生の頃に国語の授業で創作の課題があって、後先考えずにアイデアを書きまくって、結局あれは最後まで書き切ったのかどうか思い出せないが、先生が授業中に、「○○が××する、なんていう話を書いている人もいて、面白い」って褒めてくれたっけ。あれが、私の最後の創作だったのかも知れない。この頃は、まだ恥ずかしさを知らなかった、ということなのだろうか。

うちの押し入れには、黒歴史、としか言いようのない分厚い色紙のノートがあって、そこには幼い頃から、それこそ小学校三年生くらいまで描いたであろう、数多くの作品が残されている。怖くてもう見られないけど、あの頃の、「恥ずかしさを撥ねのける度胸」を意識すらしない自由さがあれば、「創作」に対峙したときに、ピタリと活動をやめてしまう脳も、元の働きを取り戻すのだろうか。

技術もセンスもないのは自明のこと。しかし、頭が真っ白になって全く身動きがとれなくなってしまう、というのは、技術やセンス以前に、人間としての欠陥を疑わざるを得なくて、とても不安になる。