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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』

スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』 三宅隆太

『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』を読んだときに結構ひどいことを言ったんで、続編の本書を読むかどうか迷ったんだけれども、前書きを立ち読みして買うことを決定した。『初級篇』もそうだったが、この著者、前書きが抜群に面白い。本屋で声を出して笑ってしまった。

今回、本書がターゲットにするのは「アマチュアのソフトストーリー派」(以下、「アマソフ派」)。劇的行動をとらず、独りよがりに何となく問題を解決した気になった、という内容のストーリーを書く素人を「窓辺系」と著者は呼んでいた。「アマソフ派」はその延長上に存在するという。

「アマソフ派」は、自分のみを基準にして(つまり視野の狭い状態で)、登場人物に対する共感・叱咤・激励を頼りに物語を書こうとする。作り手は登場人物の変化を望んでいて、そのワクワク感を原動力にしてシナリオを書く。しかし、息がもたず、長編になると破綻する。やはり、ログラインやプロットを使って論理的・システマティックに作劇を管理するのが望ましいのだが、「アマソフ派」は頑なな信条からプロットを書こうとしない、あるいは、苦手だからプロットが書けない。プロットを書けと言われると「アマソフ派」は途端にワクワク感を失ってしまうのだ。

表面的には「窓辺系」と変わらない話を書く「アマソフ派」だが、しかし、登場人物の変化を望んでいる、という点で両者は決定的に異なり、その一点において「アマソフ派」には救いがあるという。そこで、なるべく「アマソフ派」のワクワク感を削がないように気を遣いまくりつつ結構ストレートに、お前らいいからさっさとプロット書けよ、というのが本書だ。

全体としては、まずログラインを作成し、チェックリストに沿ってそれをプロットに膨らませるためのポイントを押さえ、メインとなる筋を用意し、そこにサブプロットで肉付けをして長編に仕上げる、というかなりオーソドックスな手法。講義調の参考書で、相変わらず少し散漫な印象だが、実際に使える具体的な技術論を展開していたり、業界における脚本家の仕事内容に踏み込んでいたり、前著と比べても圧倒的に読み応えがある。

私が一番良かったと思うのは、第1章のログライン作成。まず、アイデアは既存の(=自分の中にある)ものの組み合わせであり、緊張・不安・抑圧の状態からは生まれないことを確認する。そしてアイデアを大げさに考えず、たとえば「昼飯は何にしよう→カレーにしよう」という些細なものまでをアイデアとして認め、リラックス・安定・テンションの高いときにこそアイデアが生まれることを体験させる。さらに、その体験を振り返らせ、アイデアが「偶然」「外部からの刺激を受けて」発生したことを論じてみせる。たとえば「偶然、匂いをかいだから、カレーを食べようと思った」というように。これらを踏まえて、偶然と刺激を人為的に生み出そう、という話に持って行くところの巧さはさすがだと思った。

プロット作成の第2章・第3章は、シナリオ教則本を読みあさっていれば、ある程度知っているような話が多い。とにかく、ちゃんとプロットが書けるようにならんとお前ら先はないぞ、ということ。

第4章はサブプロットの一般論と、サブプロットとメインプロットが内容の面白さ(観客の感情移入度)という点で逆転現象を起こしている例とその対処法を『ラストサマー』を題材に展開する、というもの。『ラストサマー』を観たことがないため、ここはすっ飛ばした。一遍見ておかないとな。

私はこの本を読んだ後、売り飛ばした『初級篇』をもう一度購入し、本棚にしまった。『中級篇』だけ持ってるのもなんかおかしい気がして。そして『上級篇』ではマジでプロになる人向けの話を用意しているとか。しかし、これだけ映画のことに精通している著者ですら、メジャーなヒット作は作れないのかと思うと、結構暗い気持ちになる。

スクリプトドクターの脚本教室・中級篇

スクリプトドクターの脚本教室・中級篇