京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

0 or 100

小学生以前のことはとっくに諦めが付いた。もちろん、後悔しないわけではない。こんな風に振る舞っておけばなぁ、ああしておけばなぁ、と思わなくはない。そうしていれば、それ以降の人間関係も変わっていただろうに、そうしていれば、その頃を思い出したときに辛くないだろうに。それでも、中学以降のことを思うと、まだ何とかやり過ごせる。きっとあまりに古いから、もう忘れかけている、ということもあるのだろう。それでいえば、中学以降のことも、この先どんどん忘れいていって、諦めが付くのかも知れない。しかし、色々と忘れても、辛かったということだけが刻み込まれてしまっているから、それこそどうしようもなくなってしまう気もしないではない。

中学生以降、ホント辛かったな。主観と客観がねじれた中学時代、主観をたたきのめされた高校時代、ますます自己嫌悪に陥った浪人時代、立ち直れなくなった大学時代、手の施しようがなくなったニート時代、ただ生きているだけの現在。

所詮、人生は宿命だ。全てが決まっている。全てが容姿や性別や能力など決まったことの延長上にある。それを踏まえた上で人が感じられる「人生を切り開いていく感覚」こそが、恐らく幸福感の源泉なんだと思う。何かをやり遂げたとか、大切な人と出会うとか。そういうものが私には一つだってありゃしない。この先のことは分からない、というが、分かるじゃん。これまでに無かったものが、今後ますます条件が悪くなる中で、現れるわけがない。人生は宿命の延長なんだから。

もし、この先、自分の人生に何か意味が発生しそうになったら、私は自分でその可能性をつぶしてしまう気がする。だって耐えられないのだ。これまでの空白が余計ハッキリと見えるようになって、それが自分を飲み込んでしまいそうな気がするから。楽しそうな人を見ると自分が惨めになるのと同じ。楽しい場所に行っても孤独になるのと同じ。楽しいことをやっていても楽しくない自分が寂しくなるのと同じ。

人生は0か100。そして、もう100は絶対にない。そうなったとき、私は99ではなく0を目指してしまう。そもそも99だってありはしない。80も70も60もない……もう20くらいか? それだってそれだけあるかと言われると、無いような気がしてくる。端から見ると、バカな生き方をしていると思われるんだろうな。それだけ恵まれているのに、って。でも、そのうち、そういう風にも見られなくなってくるんだろう。まぁ、早めに死ぬに越したことは無いと思うよ、まじで。