京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『シナリオ構造論』

『シナリオ構造論』 野田高梧

届いたので、早速読んだ。日本映画史に残るシナリオ教本ということで、なかなか感慨深いものがあったが、大方の予想通り、感想はこうなる。「いまはもっと良い本がある」。

『シナリオ構造論』の前に『シナリオ方法論』がある、という話をどこかでした気がするが、きちんと事情を把握したので説明しておこう。戦後、映画復興のためにシナリオ雑誌を刊行しようという話が持ち上がり(それが月刊「シナリオ」)、野田高梧が文章を寄稿することになった。その際、勝手に「シナリオ方法論」と題打たれたものを、後日まとめて、タイトルそのまま別冊として出版した。それからしばらく後、加筆訂正を加えて『シナリオ構造論』が世に出た、と。

つまり、本書はきちんと章立てしてあるものの、基本はエッセイみたいなもんで、まだるっこしい文章が続く。さらに、引用・再説が多くて、読むべき本文は結構少ない。実は、昨今のシナリオ教本と言っていることには大差なくて、小津映画のクソつまらんシナリオを書いていたくせに、驚くほどの慧眼の持ち主だと感心させられたのだが、しかし、内容に大差ないが故に、いまの方がもっと良い本がある、という感想にならざるを得ない。シナリオの文学的価値がどうのこうのと論じている部分とかあったけど、んなのどーでもいいじゃん。爺さんカタイカタイ。そんな話がいっぱい出てくる。

これを読んでさ、母が高校の時に使ってたという行儀作法の教科書を思い出したわ。母が高校生だから70年代の終わりから80年代に架けてか。その中に、男女交際について、という項目があって、自分が一人の時に男性が自宅を訪ねてきたら、家に上げてはいけない。交際というものは清潔なものでなくてはならず、順序を間違えてはならない。軽蔑されるべき行動は慎み、大人としての自覚を持ち、毅然とした態度を持って……と延々と書かれていた。こんなもん、一言「セックスはダメ」と書けば終わる話じゃないか。もっと言えば、なんでダメなんだ? もし現代にも同じような本があるとすれば、きっと「コンドームは付けろよ」という内容になってるんじゃないかと思う。

てなことを思った。つまり、そういう本だ。

シナリオ構造論

シナリオ構造論