読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

幸せ

内村航平の個人総合の演技とインタビューをダイジェストで観ていた。彼はこういった。負けても何の悔いも無いと思った。全てを出し尽くせて、嬉しいというか、幸せだ、と。さらに、調子が悪かったけれども、運が味方をしてくれた、とまでいった。

オリンピック選手の中には、金じゃなきゃ意味が無い、などという選手がいる。私は、そういう選手が嫌いだ。だって、傲慢にも程があると思わないか。

要するに、自分の努力は金メダルの価値がある、ということだろう。そんなもの、オリンピックに出ている全ての人間が必死に努力しているに決まっている。金と銀の差は努力の差か? もっと言えば、銀と銅の差も、銅と4位の差も……それは努力の差なのか? 違うだろう。体調だったり、雰囲気だったり、そもそもの才能だったり。つまり、もう運としか言いようのない、何らかの力がそこを支配しているんじゃないのか。

努力すれば夢が叶う、努力すれば勝てる、というのは、努力しても夢が叶わなかった、努力しても負けた、という人たちのことを丸ごと無視し、踏みにじっている。血のにじむような努力をしたからこそ、同じように努力した人たちのことを認められるし、自分の負けを潔く認められるのではないか。

そもそも、死ぬほど努力する、というそのこと自体が、幸せなのだ。一体、どれだけの人間が、そんな風に努力できるのだろう。そして、その成果を出し尽くせるのだろう。まして、その成果が評価を受けるのだろう。

自分にしか生きられないと思えるような、今が燃え尽きるような人生が、きっと人間の幸せなのだ。内村航平ほど、いま生きる喜びを噛みしめている人間はいないだろう。私にはそんな瞬間が一秒だってありはしなかったが、だからこそ、彼が今とんでもない幸せに包まれていることが分かるし、羨ましいし、素直におめでとうと言いたい。