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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

意味を作ろうとしない

昔からそういうところがあるな、と思う。自分の気にくわない環境に放り込まれた時、ここは自分のいるべき場所じゃない、という気持ちが働き、そこで意味が生まれることを拒もうとする。

たとえば、何か楽しいことがあれば、これもありかな、この場所に来て良かったのかな、これが私の、大げさに言えば運命だったのかな、なんて思ってしまうけれども、それを拒否しようとするのだ。

その結果として、私はわざと自分を不快な方向へ持って行く。ふてぶてしい態度を取って、わざと人から嫌われ、居づらさを感じて、ほらやっぱり私のいるべき場所じゃない、という具合に。歪んでるよねぇ。

でも、人から徹底的に嫌われる勇気も無いから、そういう自分を思い出して凹んだりする。不快なのは自分じゃなくて周りの人間なんだから、私に凹む資格なんてないんだけれど。当然友達は少ないし、そういう後ろめたさがあるから、同級生と気軽にコンタクトが取れない。特に高校と大学かな。中学まではそれほどでもないような気がしていたけれど、気付いてみると、やっぱ無理だわ、という感じ。

働き始めた頃、それはやめよう、と決めた。働きたくないし、私の行きたい場所ではないし、こんなはずじゃなかった、と思っていた。でも、意味を拒むのは辞めよう、と考えた。それで、その通り、自分としては改まった生き方が出来ているような気がしている。この点で、あまり後悔はない。でも、やっぱり働きたくないし、行きたい場所じゃないし、こんなはずじゃなかったよな、というのは何にも変わらない。それはふてぶてしさとしては表れていないけれど、仕事に対する態度として如実に表れていて、結果的に同じ職場の皆さんに対する後ろめたさを感じている。

私の心がけ次第、といえば元も子もない、それまでの話なんだけれど、あぁ難しいなぁと思う。