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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

アメリカ人の気持ち

ベトナム人と英語で話した。そっちの言いたいことは分かる。だけど、こっちの言っていることが分かってもらえない。もちろん、私の英語が拙いからなんだけど、言葉に詰まって何も言えなくなる普段とは少し違った。あー、えー、と言いながらも今日は最後まで説明は出来たのだ。ただ、そこが私の語学力の限界で、もうそれ以上説明のしようが無い。たとえば、あれをするにはAとBが必要だ、と言った時、Aという単語を理解してもらえなかったら、それをかみ砕いて説明する術を持たないのだ。

それで、やっぱりウーンと唸って黙り込んでしまうんだけど、ふと気付いた。こいつ、私の言った簡単な単語(A)の意味も分かっていないし、さっきから文法もメチャクチャだ(私もなのだが)。別に発音が上手なわけでもないし、良く聞いてみりゃ適当に単語を並べているだけだし、確かに私より英語で喋り慣れている感じはするけれど、こいつ、実は私と同じくらい英語が出来ないのでは? っていうか、教科書に載っている知識の量としては負けていないのでは? と。

そう思えた瞬間、相手が全く怖くなくなった。こっちも普通に適当に単語を並べ、きちんと意味を伝える必要があるときに細かい文法規則を気にせず(単数形とか複数形とか時制とか)センテンスを作ってみる。いや今までもそうしてきたんだけれども、物凄く楽にそうすることができたんだよね。

あぁそうか、とこのとき思ったわけ。アメリカ人って英語しか出来ないくせに、英語が出来るから、日本でも平気で話しかけてくるでしょ。それで、英語がしゃべれない日本人の方が恐縮しちゃう。英語も使えねえのかよ、そりゃ使えねえ奴が悪い、ったく使えねえな、と言う具合。だからあいつらアメリカ人は強気だし余裕があるんだろう。

この「英語は、使えない奴が悪い」という感覚を、恐らくほぼ互角(あるいは私の方が少し上)の語学力をもつ外国人と会話したことによって、私は体感したのである。