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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

結婚

祖母と話をしていた。祖母の知り合いの息子が、結婚をしない、という。その理由を初めて母親が知った、という話だった。結婚をしたかったけれども、相手の女性が病気で、結婚を拒むから、彼女と一緒になれないなら自分は一生結婚しない、と言ったそうだ。目に涙を浮かべながら他人の話をする祖母は、突然調子を変えて、私に話を振ってくる。あんたは結婚しないのか、と。

いや、僕は良いんだ、と答える。好きな人なんていないし、いたって私なんて誰も相手にしないし。すると祖母は言う。相手なんて(お見合いで)いくらでも用意できるし、あんた次第なんだ、と。あぁ、そうだね、と答えておいたが、言いたいことが無かったわけじゃない。

中二くさいというか、童貞くさい話をするけれども、結婚って何なんだろう。私はさ、自由で何でもありの人生じゃなくて、不自由でもそれ以外は考えられない人生が欲しい、ということを常々言っている。今の仕事は大嫌いで、一生これをやるなんて考えたくもないけれど、もしそれが宿命と感じられるなら、受け入れる覚悟が多分ないわけではない。辛いのは、やりたいことがあるのに、それに挑戦できないまま、いまの不本意な仕事を続けることなのだ。

同様に、誰とでもつきあえて、誰とでも結婚できて、そのうちの一人と偶々ご縁がありまして、ということに私は耐えがたい苦痛を覚える。私にとってその人でなければならない理由は何だろう。逆に、彼女にとって私じゃなきゃダメな理由は何?

よく、結婚しなきゃ一人になった時寂しい、というようなことを言われる。確かにそうだろうと思う。でも、私が寂しいから、なんて相手あっての話なのに随分自分勝手ではないか。そして、結婚できず(せず)に一人で寂しいのは、「仕方ない」ことなのではないか? それはたとえば、高校時代に惨めな思いをしたのが「仕方なかった」のと同じ。あるいは、行きたい大学にも行けなかったのが「仕方なかった」のと、まるで同じ質の「仕方ない」ではないのか。

一人が寂しいとか、世間体とか、そんな一般的な理由で結婚を考えるのは私は嫌だ。第一、私にはもう一般的な人生なんてないのに、どうしてここだけ「一般的」でなければならないんだろう。

って、私のことを心配してくれているのは重々分かる。私だって素敵な女性と一緒なら、もう少し彩りのある世界を生きられるのになぁと思う。これ、要約すると、運命的な出会いが欲しい、っていう極めて乙女チックな結論になるんだけれど、仕事にせよ恋愛にせよ結婚にせよ、私はそれによって自分の人生の意味を、つまりこれ以外はダメだ、と感じられるものでないと嫌だ。