読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

ループの世界

生きている意味……この数年、こればっかりだ。そして、考えても考えても、自分の人生は無意味だとしか思えない。じゃあ考えなきゃ良いのにね。考えても無意味だし、考えなくてもそもそも無意味なんだから。

もう死んじゃおう、と何回考えたか分からん。でも、怖くて死ねないし、心の奥底にある本当に本当に極小さな何かが、人生を諦められないでいる。だから、こうやって生きて、無いようであるような理由で落ち込んでいる限り、生きている意味を考え続けてしまう。

考えてしまうといっても、生産的な意味はほとんど無い。人間ってどうして生きているんだろう、という疑問はそのまま、どうして私なんかが生きているのだろう、という反語につながる。私の人生が無意味である根拠はいくつでも見つかる。というより、明確ないくつかの根拠がぐるぐると頭を巡って、それを強固にしていくといった方が良いのか。

自分が生きている意味の無い、生きている必要の無い人間だ、と考えるほど、周りにいる人間たちが何のために生きているのか、何をよりどころにして生きていられるのかも、さっぱり分からなくなる。やっぱり、私みたいに死ぬのが怖いからなのだろうか。そんな人もいるんだろうけれど、でも大半の人がそういう疑問を持たずに、あるいは積極的に生きているように見える。それが不思議で仕方がない。

高校生のころ、学校に行くのが辛かった。高3の頃にはしょっちゅう遅刻したし、ズル休みも何回かしたけれど、それでも最後まで出席した。金を出して行かせてもらってるんだから当然のこととはいえ、私としては「頑張って」いたわけだ。この辛さを乗り越えれば報われる、これが終われば、次の場所に行けば、大学生になれば、何かが変わる、と信じていた。実に笑える話だ。

しかし、今はどうだろう。あの時と同じではないのか。毎日、仕事に行くのが辛くてたまらない。仕事自体の辛さはあまり問題ではない。仕事のつまらなさの方が問題だ。そこで過ごす意味の感じられない時間が辛い。それでも私は毎日出勤している。金をもらっているのだから当然の話なのだが、私としては出勤するだけでも「頑張って」いるわけだ。そして、この辛さを乗り越えれば、この仕事を辞めて、次のステップに進めれば、これまでの辛さが報われる、何かが変わる、と思い込んでいる。

結局、辛い高校生活が京大に受かればチャラになる、と思っていたあの頃と、私は同じように生きていて、精神的に全く成長していない。それだけでも十分なのに、この先どこに行って何をやっても同じであることもハッキリしていて、だから生きていても意味が無いというのである。