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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

法則がないという法則

これは負け惜しみだとか、自分に対する言い訳だとか、慰めだとか、そういうものも多少は含んだ上で、実感として、あるいは唯一の真理として、信じるに値するものとして、言いたいのだが、この世界には「正しいもの」などというものは、ただのひとつも存在しないと思う。

もちろん、X+1=2のとき、X=1である、というのはたったひとつの正解だ。そういう数々の「正しいもの」の積み重ねで、人類は発展し、我々の今の生活があるのは事実である。しかし、そんな「正しいもの」で私たちの人生は割り切れるものなのだろうか。人生に、法則なんてあるのだろうか。

医学が分かりやすい。がんは切るなという説を唱えるもの、切らなきゃ治らないというもの。抗がん剤を飲めというもの、飲むだけ無駄だというもの。必ずある説に対して、違う説が提示される。そして、私たちは必ずどちらかを選ばなければならず、すると私たちは選ばなかった選択肢による結果を絶対に知ることが出来ない。切って治った、切らずに治った、飲んで治った、飲まずに治った、という話を聞くだろう。もちろん、その逆もある。私たちは結果から、選択肢が合っていたか間違っていたかを知るしかないのである。

ここで重要なのは、その選択肢が合っていたか間違っていたかというのは、普遍的なものではないということである。なぜなら、どの選択肢にも成功と失敗が含まれているからだ。飽くまでも、自分にとって合っていたのか、自分にとって間違っていたのか、でしかないのである。

「がん」よりもう少しマイルドな例を見ても良い。健康や美容について調べてみれば、あれが良いという意見に対して、あれは良くないという意見が、必ずと言って良いほど提示されていることに気付くだろう。どちらが正しいのかは、自分で試してみるしかない。その結果を見たとき、初めてどちらが正しかったかを知るのだ。そして、その正しさはその人固有のものなのである。

私自身の卑近な例を挙げれば、ドライヤーで髪を乾かしたあと、冷風を当てると髪のつやが良くなる、というのは嘘だ。マイナスイオンドライヤーを使うと髪が落ち着く、というのも嘘である。科学的にそれがどれほど正しいといわれようが、私がそれをやると著しく髪の調子が悪くなるからだ。

世の中は、法則や方法であふれかえっている。天才はこうしている、美魔女はこうしている、東大生はこうしている、一流の人間はこうしている――。しかし、それらのほぼすべてが、その人にとっての法則や方法であって、自分に適用できるとは限らない。

これは、数日間の海外旅行に行ってきた人間が「あの店は最高に美味しかったからオススメ」と言っているのと同じこと。その人はたまたま自分の口に合う店に出会えただけのことである。私にとっては美味しくないかも知れないし、他にもたくさんの店があることを見落としてはいけない。ちょっとの間、ちょっと違う場所に行っていたというだけで、その人の意見が「正しい」ということには絶対にならない。

美しく生まれてくるものもいれば、醜く生まれてくるものもいる。賢い、バカ、健康、病弱、裕福、貧乏、それぞれに違った環境や条件が与えられて生かされている。正しい人生や、こうでなければならない生き方なんて、あるはずがないではないか。

何が言いたいか。自分だけの方法や法則を見つけなければならない、ということだ。私にとって何が正しいのか、私の好きなものは何なのか、それをハッキリさせなければならないということだ。他人の法則や方法を生きるなら、私は私である必要が無いのである。

ここからは特に私自身に対する慰めになるが、私たちは6歳で小学校に入り、12歳で中学生になり、多くの人は15歳で高校生になる。だから、何歳までに何々をして、何歳までに結婚をして、何歳までに子供をもうけて、という「法則」を語りがちだ。しかし、そんなことはないだろう。私たちはどう生きたっていい。むしろ、私たちには自分にしか生きられない人生が、きっと与えられているはずなのだ。それを探さなくてはならない。そこにしか、私たちの生きる意味は無いからである。