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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

変えられないし、変わらずにはいられない

「絶対に勝つ」とか「負けられない戦い」とか言ってる奴、本当に嫌いだ。負けた人間の前でガッツポーズするのが紳士的じゃない、というような、しょーもない「スポーツマンシップ」の話じゃない。「勝ち」の裏に必ず「負け」があるという意識があまりに希薄であることに腹が立つのだ。「負けられない戦い」をしているのはみんな同じなのに、「絶対に自分が勝つ」のなら負けた人間はどうなるのか。

奴らは言う。自分は努力したから勝ったのだ、と。これほど傲慢な話もあるまい。自分のやったことこそ努力であり、それには勝利の価値がある、ということなのだろう。連中は世の人たちに、努力が必ず夢を叶えてくれることを、力強く説いて回る。努力がすべて、努力すれば成功する、努力しなければ失敗する、成功しなかったらそれは努力ではなかったということ、努力努力努力。分かりやすく設定された分かりやすい目標に分かりやすく突き進むだけで良い連中は分かりやすい人生が歩めて本当に羨ましい。

結局、それってただの精神論・根性論だ。大げさな言い方をすれば、まともに飯も食わされずまともな武器も持たされなかった多くの日本人を、一人十殺すれば必ずアメリカに勝てるとか何とかテキトーなことを言って死地に追いやったのは、こういう連中で、お前らが先に死ねと思う。

あらゆる分野において言えることだろうが、人間のチカラには明らかに限界がある。努力神話を信じる人たちは、今のままじゃいけない、変わらなきゃダメだ、とすぐに口にする。しかし、何かを変えるなんてことは出来ないのだ。一方で、変わらずにいるということも不可能である。人生も社会も地球も宇宙も、否が応でも変わってしまうものなのだ。それが自然であり歴史だ。四季が移ろうように、盛者必衰であるように。つまり無常なのだ。無常だから虚しいのではない。無常だからこそ味わう価値がある。

努力の名の下に、遮二無二自分の意志を押し通すことが立派だ、というような風潮があるけれども、本当にろくなことが無い、と思う。でも同じように考えている人が一体この世界にどれだけいるのか。孤独になるばかりで、テレビもニュースもなるべく見たくない。