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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

人それぞれ

何度も何度も同じことを言うけれども、世界のほとんどは善し悪しではない、好き嫌いで出来上がっている。齢30を目前にして、それは理屈での理解から実感へと変わってきている。人は好きなように生きて良い。その人の「好き嫌い」こそが、その人の存在する意味に他ならないからだ。

例えばさ、私はブサイクで、自分に自信がない。だから、散髪する度に、私なんかが格好いい髪型になんかしたって……。服屋に行くたびに、私なんかがおしゃれな洋服を着たって……。どうせ、ブサイクには変わりないし、そんなブサイクが何を気取ってやがるんだ、と思われたら恥ずかしいし……と思考が働き、行動が止まる。

クソ食らえな訳です。好きな髪型にしてもらえば良いし、好きな服を着ればいいわけでしょう。それが仮に全然格好良くなくて、世間から馬鹿にされようとだ。「自分が好きである」ということに、とんでもない価値があるのだから。それを貫いたとき、そこに独創性が認められることだって、ない話ではない。

もちろん、そこに常識という限度はあるけれど、人の目なんて気にしなくて良いんじゃないかな。気付くの遅いよね。いや、先にも言ったけれど、理屈としては分かっていたんだ。それが実感に変わってきている。だからそうやって生きられそうな気がしているのだ。私からすれば、ほとんどの人はそうやって普通に生きているように見える。凄いなぁ、と思う。