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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『この世界の片隅に』

この世界の片隅に のん 細谷佳正 ほか

戦前・戦中の広島を舞台に、おっちょこちょいな主人公すずの成長と日常を描く物語。

ちょっと抜けている少女がどんどん大きくなり、知らない男性(実は既に出会っている)と結婚し、家族として受け入れられ、激しくなる戦争で傷つき、大切な人を失い、悲しくてやりきれなくても、それでもまたみんな寄り添って生きていく、という内容。

物語というよりは描写を積み重ねて流れを作っていると言った方がいいか。不便で窮屈で死と隣り合わせの生活だったけれど、そこにも笑いや喜びがあったんだよ、ということを繰り返し描いていく。戦争をただ暗いものとしないのは『少年H』的で、短いエピソードの連ね方は『ALWAYS 三丁目の夕日』的だな、と思ったけれど、知っている映画(や小説)の数が少ないから多分もっといい例えはあると思う。

日常のあるあるを寄せ集めてリアリティ(もっともらしさ)を演出するフィクションとは少しニュアンスが違って、どちらかというと時代考証の成果といった趣がある。前評判通り、観客に爺さん婆さんが目立つ作品で、若い世代と笑いどころが違ったというのは興味深い。若い世代が笑うのは、作り手が用意した笑う(微笑ましい)ポイントだ。一方、お年寄りが笑うのは、きっと本当にあったんだろうな、という部分。その気力さえあるなら、うちの祖父母にも観てもらいたいなと思った(ちょうどすずさんの妹くらいの年齢なんじゃないだろうか)。同時に、もし50年後に、私の幼い頃の日本を描いた映画が作られたら、どんなものができあがるのだろう、などと思った。

グッとくる箇所はいくつもある。ハッキリ覚えている一つは、防空壕に駆け込んだ直後に、上空からバサッと焼夷弾が落とされるシーンで、なんだか悔しくて涙が出た。

もう一つは、爆弾で右手を吹っ飛ばされてしまった主人公が、日常における不幸中の幸いについて「良かった」と漏らす周囲の人々の様子を思い出して、「何が良かったんだ?」と反問(煩悶?)するシーン。普段ならもちろん私は主人公側に立っているのだが、「良かった」という人たちの様子が、つい私の周りにいる優しい人たちと重なってしまった。

悪い映画ではなかったし、嫌いでもなかった。事実、2時間全く退屈しなかったし。ただ、史実の羅列・列挙と紙一重で、全体を貫く大きな感動というものには至らなかったかな。じいちゃんばあちゃんの「ええ話」のようなじんわりとした感慨のようなものはあるのだが。

それにしても、戦争を通じて、笑って生きていられることの喜びを噛みしめられると、生きていること自体にあれやこれや疑問符を付けるドラマっていうのが煩わしいというか鬱陶しいというか、無駄なものに思えてくるから困る。