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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

松方弘樹の思い出

雑記

松方弘樹が死んじゃった。昭和がまた一つ終わっていく。昭和生まれの端くれとして、京都好きの端くれとして、太秦っ子の端くれとして、とても寂しい思いがする。

松方弘樹といえば、『遠山の金さん』が好きだった。母の実家が太秦、祖父はジジイのご多分に漏れない時代劇好き、そして映画村に近いこともあって、幼い私も時代劇が好きだった。そして、私が幼い頃はまだコンスタントに京都で時代劇が制作されていた。当時見ていたモノというと『金さん』の他には『三匹が斬る』とか。こういうのを見ると、昔からアホなものが好きだったんだなぁと思う。

小学六年生の終わり頃、もうじき卒業というので、同級生二人と京都に行った。祖母がうちに泊まれというので、そこを宿にして。一日目に映画村へ行き、二日目にボーリングをした。ツレ(友人)の一人が実は嫌いで、無理矢理付いてきた奴。ボーリングをしていると、なんだか少し喧嘩のようになって、険悪なムードだったのを思い出す。

そう、それで一日目に行った映画村でのこと。中村座(だったかな)という名前のイベントホールのようなものが映画村にはあって、そこで連日サイン会が開かれていたのだ。私たちが映画村を訪れた日のゲストが松方弘樹だった(ちなみに前日はシブがき隊のやっくんだった)。ちょうど仁科明子と離婚したとかしないとかでワイドショーを賑わせていた頃だ。私たち小学生三人は、おばちゃん連中に紛れてサイン会の列に並んだ。なんで小学生が? と思われていただろう。私たちも、なんで松方弘樹のサイン会に? と思っていた。

舞台の真ん中に机が用意されて、松方弘樹はそこに正面を向いて座っている。客は下手から壇上に出て、ことを済ませた後、上手に捌けていく。我々の順番が来る。酒やけなのか、カジキ釣りでの日焼けなのか、松方弘樹は赤く黒く鈍く光っていた。肉厚というのか骨太というのか、生命力が漲っているようだった。みんな握手してもらっているので、私もそれに倣って握手してもらった。考えてみれば、大人の男と手をつなぐなんて、父親や祖父を除けば初めてだよなぁ。

帰り道で横殴りの雪が降り、ビニール袋に入れられた松方のサインでそれを除けながら歩いた。サインもらっといて良かったなぁ、なんて言っていた気がする。そのサインはいまもうちの押し入れに、あのときのまま入れられている。プレミアは出ないだろうが、いい思い出である。

そうか、6年生の冬の終わりだから、1999年の2月とか3月の話なんだな。あれから18年が経とうとしているのか。そりゃガキもオッサンになり、オッサンはジジイになり、中には死ぬ奴も出てくるわけだ。でも、もう少し生きていてくれても良かったんじゃないかな。『十三人の刺客』を見ても分かった通り、この国に殺陣のできる役者はもういないんだから、生きて若手を育てて欲しかったよ。