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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

創作は暴露する

自殺をする、ということがどうも自分を引きつけるらしい。自殺に惹かれるなんて馬鹿な話で、自死遺族が聞いたらはらわた煮えくりかえる思いだろう。自分自身は、いつももう死んでしまいたいと思っているが、実際には死んでしまうほどの度胸も行動力も無く、明日も今日と同じように世間と自分に向かって愚痴と文句を並べて、情けなく死なないままでいるに違いない(自殺が度胸か? あれはただの悲しい狂気だ、とも思うが、まぁその問題は置いておく)。

ただ人が死のうと思うとき、どうして死のうと思ったのか、どうしてその方法を選んだのか、死ぬ直前はどうだったのか、ということには関心が向くのかも知れない。

思えば、初めて書いたシナリオは「自殺をキスでとめられた青年」という中国のニュースをモチーフにしたものだった。事実としては凄いが、物語としては陳腐だ。ただ、その出来事は飽くまで発端。止めたのはいいが、止められた方がその後どうなってしまうんだ、変わらない状況と孤独をどう変えればいいんだ、と長く思っていたところを話にした。つい最近書くことになった5分の会話劇も、駅で飛び込みをはかる女が出てきた。途中で行き詰まって没にした話も、自殺からストーリーが始まる。まったく不謹慎な話だが、こんな具合に、自殺というのが、どうも自分のモチーフになっているらしい。

といっても、実はどれも、自殺を図ったけれども死ななかったという話ばかりだ。だから、自殺というより自殺未遂がモチーフなんだろう。心のどこかではやはり、この世界が生きるに値するということを、私が生きていても構わないことを、信じたいのだろう。

なーんて。自殺を図る登場人物は私の分身で、それを誰かが助けてくれるという、甘い人生観がただ露わになったということだ。だから創作というのは恐ろしい。