京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

今年もダメだったわ

去年に引き続いて今年もダメだったわ。とりあえず最後の最後まで行けて去年よりかは幾分マシか。筆記は惨敗過ぎてほとんど悔いは無い。面接は私の甘さが前面に出てしまっていて、トンチンカンなこともたくさん言ったから、そりゃダメに決まってるわと思うんだけど、それなりに自分の言葉で自分の気持ちを言えたし、これ以上は無理。文章作成も上手くベストが出せたと思っているから、これでダメなら仕方が無い。前から言っていたとおり、もう来年は無い。

まぁ、宝くじみたいなものよ。もちろん当てるつもりで買うけれども、でもやっぱり結局どうせきっと当たらないし、実際当たらない。そう思っていても買ってしまうし、そうと分かっていても当たってからのことを妄想してしまう。悲しくなるから妄想するのは止めようと思うけれども、そんなの勝手に膨らんでいくものでね。

膨らんだものが一気にはじけて、結果を待つ緊張感もほどけてきて、ようやく空しさを感じる。あぁ、そうかやっぱり無理なんだなと思う。頭の中にいる垢抜けた洗練された未来の自分が消えていく。やっぱりこの退屈な日常は続き、みすぼらしい過去だけが残って、そして積み重なっていくんだなと思う。

合格した、認められた、という事実がどれだけ人を勇気づけるか、ということを今回は痛感した。若いうちに東大京大に行った人間が万能感に包まれるのも分かる。頭の良さに加えて、その自己暗示があれば、凡人には及ばぬ高みにでも手が届くというもの。

仕事もそこそこに、こんな遊びにかまけて、あわよくばなんて思っていたことを、先の旅行の際に父に知られたのだった。30にもなっていい加減にしろと怒られると思っていたが、父は新幹線代を出してくれた。お金をもらった後に、父に知られていたことを私は知ったのだ。上手くいったのか、と父はしきりに気にしていて、ダメだったと伝えると、これからどうするのか、と尋ねられた。

これから、か。繰り返すけど、来年は無い。もう同じことをする気にはなれない。と、去年も言っていた気がするな。「今」から抜け出せる選択肢が見つからなくて、せめて2回はと思って今年は挑戦したのだ。三度目の正直、ともいうが、二度あることは三度あるとも言う。きっと他の選択肢が見つかることは無いだろうけれど、この選択肢を選ぶことはやっぱり無いと思う。

決まっていない、分からない、と答えると、父は次頑張れよ、と言った。さて、私は次に何を頑張れるのだろう。