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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

インチキ・サスペンス

ドラマの構造を考えるに当たって、サスペンスドラマはその枠組みを非常に分かりやすく教えてくれる。

だいたい、サスペンスドラマはこういう流れで展開していく。①まず事件が起こり、刑事がやってくる。②現場に残された手がかりを元に、あるいは被害者の身辺から、捜査が始まる。③関係者に接触していくが、捜査は難航の一途を辿る。④真犯人が急浮上して、それを追い詰める。⑤犯人が動機とトリックを自白する。

しかし、ここには誰かの「語り」が介入している。だってそうでしょう。出来事だけを考えれば、こうなるはずだ。①'犯人が被害者に対する殺人の動機を持ち、②’実際に手に掛け、③'捜査が始まり、④'それが難航し、⑤'犯人が追い詰められ、⑥'自白する。

こういう風に、語られる出来事がまずあって、これを誰かが語る、そこにドラマが発生する。だから、まず作り手が用意すべきは「語られる出来事」だ。それを、巧みに語る。情報を小出しにしつつ、情報を小出しにしていると思われないように。それとなく分からせながら、決定的に分からせないように。ときにミスリーディングを織り交ぜて、少しずつ出来事に光を当てて陰を取り除いていく。

ところが、インチキ・サスペンスは、語られる出来事をないがしろにする。分かりやすいのは「実は」の多用だろう。Aだと思わせ、実はBだった。いや、実はCだった。いいや、本当はDだった。ABCD間で大きな矛盾さえ避けておけば、これは成立する。それで「実は」といわれる瞬間は、観ているこちらも少し気を引かれる。

が、アホらしい。結論はDだが、実はEかも知れない。Dで終わったのは、誰かがDで語るのを止めただけの話だ。AもBもCも意味なんかなかった。Dだって、同じこと。時間稼ぎ、回数稼ぎをするための、辻褄合わせ、帳尻合わせ。

むちゃくちゃで何でもあり。でも、それも観ている間だけは観ていられる。全てが出そろってから、その馬鹿馬鹿しさがいよいよ露呈される。