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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

誰にでも出来るということ

雑記

いま、あなたは脚本家になりたい。ずっとなりたかった。ドラマや映画が、あなたの苦しいとき、心を救ってくれたからだ。でも、どうせなれっこないとも思っていた。自分なんかが、こんな空っぽの人間が、才能だってないのに。

つまらない映画を見ると、逆に奮い立ったりする。こんなにつまらないものが商品化されるなら、自分にだって書けるんじゃないか。一方、心震える作品に出会うと落ち込んでしまったりする。とてもじゃないけれど、こんな作品、私には書けないと。

でも、と思う。私はこんな話が書きたいんだ、と思う。そこからが本当のスタートだ。

脚本の書き方、ドラマの作り方、なんていうタイトルの本を買い集めて読みあさる。そこには大抵こう書かれている。脚本は誰にでも書けます、と。それを聞いて安心する。私にも、脚本が書ける。自分が感動したあの作品のような話を生み出せる可能性が、私にもある。

しかし、そんな風に学んだ書き方は、概ね役に立たない。とりあえず書いてみるしかなく、書いている間は、学んだことなんてどこかに飛んでしまう。結局、全てが一から手探り。目の前には白紙が広がって、あらゆることが自由で、何でもありで、それ故に身動きが取れなくなる。

そうやって一作、二作と、必死の思いで最後まで書き上げた時の達成感はなかなかのものだ。でも、それも長くは続かない。作った話を見返して落胆する。なんてつまらない話だ、私が書きたいのはこんな話じゃないんだ、と。悔しい。もっと、もっと良いものが書きたい。人の琴線に触れるような、いや少なくとも私だけは感動するような物語を作りたい。

もう、こうなったら才能なんて関係ねえ、と思う。いよいよこれが、本当の、本当のスタートじゃないだろうか。

誰にでも出来るということは、始めるに当たって私たちに勇気をくれる。でも、実際に取り組んでからは、これは私にしか出来ないことだ、と思いたい。これって、人生そのものだ。

誰だって○○な人生を送れる、といわれて私たちは、とりあえず豊かな、それがきっと幸福と思われるような人生を目指す。でも、実際に生きてみたら、そんな上手くはいかない。にもかかわらず、ではなく、だからこそ、これが私の人生なんだ、私にしか生きられないんだ、と私たちは思いたい。

そして、そう思えたら、その人生はきっと幸福なんだと言って良い。これは私にしか書けない物語だと思えたなら、それがきっと傑作と呼んでも良いのと同じように。あとは、それを自分ともう一人、自分の大切な誰かに認めてもらえたら、それでもう、全ては成就されたと言える。