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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

『野沢尚のミステリードラマは眠らない』

野沢尚のミステリードラマは眠らない』 野沢尚

野沢尚によるドラマの書き方教本。これが全部とは言わないけれども、こんなに教えても良いのって言われるくらい創作法を教えてやるから、とりあえず真似して書いてみ? それで書けるとは限らんがな、という前書きから始まる本書。

実際にシナリオを書くまでにはまず周到な準備が必要ですよ、という話で、これが書かれた2000年の時点ではともかく、今日では随分と今更な内容。ただし、その用意周到ぶりはなかなかのもので、野沢が何かに思い詰めて自ら命を絶ったのが、なんとなく見えてしまうのだった。

例えば、「一回見逃しても構わないドラマ」が増えすぎてるという嘆きから始まるように、こんなにも一生懸命書いているのに、役者もスタッフも視聴者も中途半端で腹が立つ、というニュアンスがそこかしこに見られる。

まぁ、私はミステリードラマにはあまり興味がないし、そもそもを言うと野沢尚の脚本が嫌いだった。クサいんすよ、セリフが。というわけで、私にとってはあまり役に立つ内容は見られなかったけれど、目に付いたところをまとめていくと、こんな感じ。

まず、脚本家に必要なのは根気。だから、短編をいくつも書くんじゃなくて、長編を最後まで書ききる経験が必要だと。書いても書いても終わらない、でも最後まで書く。これが重要だと。賛成。

それから、脚本作りの手順。①アイデア出し、②落書き、③物語のメモ、④構成、⑤プロット、⑥箱書き、⑦脚本、の順に進める。

イデア出しで、キャラクターの掘り下げ、ストーリーやテーマの着想を得る。最終的に頼れるのは自分の創造力だから、読書なり映画やドラマを見て、引き出しを沢山用意しておくのが重要。

落書きでそれらを寄せ集めて、エラい人たちと少し煮詰める。物語のメモの段階で、登場人物に合った名前を決め、連ドラなら各回のラストシーンを用意して、それぞれが連続性を持つか確認する。とにかく、きちんと準備すればするほど脚本を書くのは楽になるよ、ということ。

それにしても――。一週間あいだが空くドラマとしてではなく10時間ぶっ続けで見られるドラマを作りたいとか、その意気込みは買うけれども、やっぱり野沢尚、苦手だなぁという印象。

野沢尚がクサいのは、セリフだけじゃなくてト書きもなんだね。日本シナリオ業界のドン新井一先生もそのご高著でしばしば「映像にならないものは書くな」と仰っていたけれども、野沢尚はその禁を犯しまくり。本書では、そのことに自ら言及した挙げ句、だから俺は小説を書くようになったんだ、とか開き直っている。

いくら設計書とはいえ、いま作るのが「もの」ではなく「こと」である以上、シナリオに文学的表現(映像にならない表現)が一切許されないなんておかしい、新井某って一体何様のつもり? あなたの脚本作品は何? といつも思っていたけれども、それを割り引いても、野沢尚のト書きは苦手。

それに、僕のト書きをどう演出するかでその演出家の力量が分かるとか、役者は本読みで全力を出さないならセリフは減らすからそのつもりでいろとか、え、なになに脚本家ってそんなにエラいんすか? 思っていてもそういうことは口に出さないのが普通じゃないっすか? うわー、すげー苦手っす、野沢先生。

で、先生から三つのアドバイス。一つ目。リライトできるかどうかがプロの分かれ目。妥協点を見つけながら、自分の譲れない意見を通す駆け引きが出来るようになれ。二つ目。脚本家の仕事は嘘をつくこと。日常をストーリーにするんじゃなくて、もっとドデカい話を作れ。三つ目。毎日書け。ギラギラしていろ。作ったものを愛せ、盲目的な自己愛を貫け。

なるほど、自分のこと好きだったんだなぁ。この仕事にも、凄くやりがいを感じていたんだろう。ドラマ作りに対する真摯な態度だけは分かった。そして、きっとそれが一番大事なんだろう、ということも。

(追記)
『眠れる森』の第一話を少しだけ見てみたら、普通に面白くて、俺もこんなの書きてえとか思った。