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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

延命は拒否する

どうして延命治療を拒む人が多いのかといえば、それがただ死んでいないという状態に過ぎないと考えるからだろう。そして、ただ死んでいないというだけの状態を無価値だと考えるからだろう。生命が維持されていることと、生きているということは同値ではない。

物語は薬だと思う。現実に対処するために服用される。成分は嘘だ。「明日も生きてみよう」などと思う効能がある。しかしどうだ、薬の飲み過ぎで耐性が付いてきたのか、あるいは病状がより深刻になってきたのか、薬の効き目と持続力がますます低下してきている気がする。

そもそもをいえば、これは延命治療なのではないか。もはや先は見えている。これまで何もなかったように、これからも何もない。生きている理由なんてなかったし、これから生きていく理由だってない。ただ延々と、目的も理由も意味も分からない生命とやら維持するためだけに、単調で不愉快な作業を繰り返さなくてはならない。要するに、もう人生どうしようもない。そして、もうどうする気もない。これは、生きているとは言えない。死んでいないだけだ。

しかし、延命治療を拒否したところで決着が付かないのが、人生という病の難しいところ。手の施しようがなく、毎日嘆くしかない。