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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

なし

みんな同じだ。とよく言われてきたけれど、そんなことないと思う。みんな不平等だという点で同じかも知れないけれど、不平等の中にまた高いと低いの不平等があるわけだから。そう言うと、いや口には出さないのに、悲劇のヒロインぶるなとよく言われてきたものだ。暗い顔をして隅っこで黙っているのに、どうしたの? と気に掛けて近寄ってきて、嫌な顔をして説教をして去って行く。

みんな、何かを目指して失敗して挫折して、それでも挑戦して、目当てのものを手に入れたり、それが無理でも代わりになるものを手に入れたり。人生はそういうものだよ、努力は大事なんだよ、と皆さん偉そうに。笑えるのは、成功してない奴ほど、この手のセリフを吐くことか。

私は、何かを目指すっていうスタートラインに立つのにまず苦労したわけだから。みんなは「位置について」と言われたときに、既にスターティングブロックに足を掛けている。あとは「よーい」で構えて「ドン」で飛び出していくだけ。走るのが遅いとか速いとか途中でこけるとか色々あるだろうけど、「位置について」と言われたとき、まだグラウンドにすら辿り着けていなかった私に、「みんな同じ」なんて言われてもねぇ。私はみんなと同じ、普通になりたいとずっと思っていたんだから。

しかもさ、みんな同じなんだろうけど、それはもう全く自分の意思とは無関係に私の足を引っ張るわけ。しましたよ、努力。方向が違う、やり方が間違っていると散々言われたけれども、気の持ちようでどうにかなるものじゃなかった。そんなに簡単なら、そんなに悩みませんって。で、まぁ自分の意思とは無関係に私の足を引っ張るだけに、自分の力では(いや他人の力をもってしても)どうにも解決できなかったわけで。それは今も半分継続中。何故半分になったかと言えば、諦めと(まさしく気の持ちようだ)、これがそれより大きな問題に繋がってしまったから(いやまさに気の持ちようである)。

そんなんだから、これまで、こうしたい、こうありたい、こうなりたい、という理想をいくつも抱いてきた。人一倍理想に対する思いが強い。それを理想が高いと言われるけれど、理想が高いんじゃないんだ、私の理想は根深いんだと思う。もしかしたら恨みに近いのかも知れない。直接的にそうでなくても、どこか根底に「あの頃手に入らなかったもの」があるような気がする。

でもそんな根深い理想は、これまでの人生でたったの一度だって実現したことがない。少なくとも13歳から、確実に15歳から、一秒だって人生が楽しかったことはない。そりゃ吉本新喜劇みて笑うことくらいありますよ。で、生きてて良かった、と思うのかい? その楽しさと、人生が楽しいというのは別だ。生き甲斐がない、生きている意味が分からない。

10個か20個か30個か、いくつあるか分からない私の理想。もう、たった1個や2個叶うくらいなら、0で良いと思うようになった。そのたった1個や2個によって、叶わなかった方の多さが際立ってしまうから。私の意識はやはり、手に入らなかったものの方にあるんだろう。

でも、それでも、たった1個か2個でも、そのせいで余計に落ち込むことになるのが分かっていても、やっぱり理想を追いかけてしまう。手に入れたいと思う。生きているとどうしてもそうなる。諦められなくなる。

後ろ向きで悲観的で、弱音と泣きごとばかり言っている私を見て、周りの人間は暗いだの鬱陶しいだの、平気で暴言を吐きかけるけれど、みんなが知らないだけで、私だって最後の最後に残ったものをエンジンにしてずっと前進しようと藻掻いている。

――というのも、もう疲れた。失敗が残るならまだ良い方。振り返っても周りを見ても、私の人生には本当に何もない。もちろん、向こうの方にも。