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京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

遺伝する

母がいま、町医者のお手伝いのようなことをしている。命に関わる仕事だけに緊張を強いられるものの、これまでの過酷な肉体労働が嘘のようだといっている。職場の雰囲気も、下町的というのか少々がさつで飾らないところから一転、決してお高くとまるわけではないものの非常にお上品なんだとか。前の職場ではお金持ちだと思われていたようだが(実際は全くそうではない)、今の職場では全く立場が逆転しているようだ(周りには働く必要のない人ばかり)。我が家はど中流なので、母の言っていることは本当によく分かる。

お金持ちと言っても莫大な資産を持っているとかではないから、テレビでよく見る成金のような下品な金の使い方はしないし、そもそもそこまでは出来ないのだろうが、会話の端々に、あるいは振る舞いの一つ一つに、ナチュラルなお金持ちを感じさせるのだろう。一緒になって庶民的な話にも笑ってくれたりするんだけど、自らの裕福さにあまり自覚的でないというその自然さが、かえって金持ちであることを強調する、という感じだ。

で、その病院の先生は、いままで患者としてお世話になったとおりの温和な人だそうで、見た目は飄々としていたが、実はちょっとトボケた笑いの分かるキャラクターらしく、職場では結構いじられているのだとか。持って生まれた性格もあるが、その優しさはゆるーい病院経営にも反映されているようで、やはり金銭的余裕のなせる技、という側面もないわけではないな、と感じる。

それで、そんな話をしていて「私も金の稼げる仕事を目指せば良かったかな」などと軽口を叩いたときに、ふっと気付いた。私はこれまで儲かる仕事に就きたいと思ったことが一度もない。お金というのは結果的に手に入るものであって、自分のやるべき仕事、自分にとってやり甲斐のある仕事をすることが最も重要なのだ、と考えてきた。考えてきたというか、そういうもんだと思い込んでいた。

そういうと母は自分も十代の頃同じことを考えていた、とさりげなく30代の私を傷つけつつ、それは私たちが裕福ではないものの、衣食住に困ったことがない、恵まれた人生を送ってきたからだ、と結論づけた。もちろんお金は欲しい、けれどそれ以上に生きている実感が欲しい。あぁ、私はこの人から生まれてきたんだな、と思わざるを得ないのだった。