読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

間違いではなかった

人生どこからどんな風に繋がって流れていくのか分からないもので、今日ある人と会って話をしてきた。親戚のうちの近所に住むという、映画監督である。正直、全く売れていない人で、大した仕事はしていないのだが、腐っても鯛、業界人は業界人である。その親戚、私が脚本を書きたいと言うことを前々から知ってはくれていたのだが、仕事を辞めて大学へ行こうとしていた(失敗したが)ことを知って、そこまでやる気なら、と話を付けてくれたらしいのだ。

ところが、会って話を聞いてくれるみたいだけどどうすると言われ、お願いすることにしたは良いものの、どういう話の席になるのかサッパリ分からない。単なる進路相談なのか、弟子入り志願なのか、どこかに私を紹介してくれるのか。話をつないでくれた親戚は、これでいよいよお前も業界入り出来るんだ良かったな、という雰囲気。だけど、私としては気持ち的にも能力的にも全くその準備が出来ていないものだから、心のどこかで転職できると淡い期待が膨らみつつも、非常に戸惑っていたのである。

結論から言うと、単なるアドバイスを受けるだけの席だった。そして、残念ながらほとんど参考にならなかったと言って良い。ガチガチに緊張していたのは私だけ。他人様のお家にお邪魔するので、と小綺麗な服装を用意したり、手土産を買ったりしたが、向こうは終始素っ気ない感じ。そもそも、人のお家にお邪魔するのに、時間が決まっていないのだから。私は13時頃にお家に伺うつもりだったのだが、親戚と先方の間では13~14時の間くらいにしようと取り決めしていたらしい。13時から14時の間にお家に伺えば良いのか、13時から14時の間に話を済ませたいのか、すらハッキリしない。それくらい、いい加減なものだった。

どんなことをお話しさせてもらえば良いのか分からないのですが、と前置きをしてから、自分の希望を伝えた。恐れ知らずにやりたいことをだけを言うと、脚本を書いて生きていきたい。ただ、何故それが恐れ知らずかと言えば、自分にはモノを書けるほどの人生経験も才能もないからで、あるのは自分を何度も支えてくれたような、人の琴線に触れる作品を書きたいという気持ちだけです、と。そして、希望を叶える手段として大学院を受けた話を続けた。

これに対してしてくれた監督の話をまとめると、次のようになる。

芸術大学の教員というのは、現場でプロとして通用しなくなった人間しかいないのだから、そんなところで学ぶのは無意味。プロには人を指導する暇なんかない。藝大にもプロ崩れしかいない。藝大出身で名を挙げたライターもいない。ライターに関して芸術系は娯楽系では一切通用しない。シナリオセンターに行けば現役に近い人が指導してくれる。ストーリーの着想を得る技術、プロットというものを書く技術をそこで習得し、同じ方向を目指す仲間を見つけよ。創作は模倣から始まるから、好きな作家の作品を真似せよ。本を読んで、創作の下地になる知識を得よ。

ほとんど参考にならなかった、というのが分かっていただけると思う。まず、藝大に関する大きな誤解がある。そこらの芸術大学ならともかく、東京藝大の講師は、名前だけで人が呼べる現役のプロが指導をしている。脚本領域からも、視聴率は散々だったが、月9を任された出世頭が存在する。

次に、シナリオセンターだが、あそここそプロとして話を書いたことがあるのかも分からないような連中が講師を務めている二流のカルチャースクールだろう。誰にでもシナリオは書けるという創作を舐めきった態度で、人の自己顕示欲につけ込んで生徒をかき集め、数打ちゃ当たるの精神で「プロを輩出」しているが、実質、名前の通ったプロは岡田惠和くらいだろう。という私は前々から嫌いというか不信感しかない団体である。この学校で展開される程度の着想を得る技術やプロット作成の技術は耳が腐りそうなほど既に聞いているのである。

創作が模倣から始まる、というのも目新しい話ではない。本を読め、と言われるが、本はしこたま持っていて、読む時間の方が足りない。ちなみに私の部屋には500冊を超える本があって、話を聞けばこの監督より蔵書の数は多いのである。

なお、創作のタネが自分の中に出来たとき、こんな陳腐なもので話を書いてしまって良いのかと迷ってなかなか書き始められない、と相談したら、半分まで書いて止めというようなことを繰り返してはいけない、作品は最後まで書かないと意味がない、という少しずれた答えをもらった。

と、まぁ心の中では酷くガッカリしながら話を聞いていたのだが、一方で私が目指していた方向というのがあながち間違いでなかったのだな、ということもよく分かった。プロの指導と仲間を求めて大学院を志望したこと、シナリオ製作にはやはり技術や技巧を身につけるのが必要だということ、自分の好きな作家・作品にこだわるということ、本を読んで知識をたくさん仕入れておくこと、創作はエンドマークを打たなければ意味がないということ。もしかすると、三度目の正直でもう一度受験してしまうかも知れない。

それと一番ありがたかったのは、私に才能があるか否かという話になったとき、あんたに才能があるかどうかは知らん、ないかも分からないが、少なくとも今の段階ではアリもナシもない。それは自分の中身が枯渇するまで書いてからの話で、しかもあんたが書けないのは枯渇しているからじゃなくて、ただアマチュアなんだ、といってくれたことか。

改めて監督の話をまとめれば、結局たった二つだ。本を読め、仲間を作れ。