京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

お前なんかどうでもいいんだよ

こういうときだけ開き直るけれども、私は子どもだ。どうしても大人になれない。理不尽な扱いを受けたとき、あるいは(自分のことを棚に上げているのは承知の上でいうが)無礼な振る舞いをされたとき、私は状況が許す限りあからさまに反発してしまうし、さすがにそれが出来ないようなときでもそれが平気で態度に出てしまう。

どうも私が通っている部署で「あの若い男の対応がなっていない」と苦情があったようだ。一応、若い男というのは私のことらしい。確かに私は、業務知識は中途半端だし、社会人としての振る舞いも稚拙きわまりないという自覚がある。とはいえ、自分で言うのも何だが、人当たりは良いつもりだし、形になっていなくても丁寧さはあると思うし、それがある程度伝わっているであろうという実感もある。無いやる気を必死に振り絞っている、と常々愚痴っているが、まさに私がその振り絞ったやる気を注いでいるのが、この「人間との対面」なのである。

そこに文句を言ってくるって、どういうことだろう。ハッキリいって、全く身に覚えがない。それで話を聞いてみたら、それが随分と横柄なものの言い方をする奴で、無茶なことばかり言ってくる奴だったらしい。それを聞いても私は全くその人を思い出せないのだが、まぁ大体私が取った態度というのは想像出来る。皆さん正社員の方々は頭が上がらないんだろうが、私なんてどーせ非正規雇用だし、最悪「バイトですから」って伝家の宝刀を抜いちゃえばいいんじゃね? って心のどこかで思っている。この余裕(というか投げやりな人生観)に促されるように、不快感がそのまま態度に表れた、ということだろう。

しかし、人に嫌われるというのは、やはり凹む。それがたとえ嫌いな人であっても、嫌われるのは悲しいものだ。別に今回に限らず、どーしてそんなに嫌われなきゃならないんだろう、という人が会社には今のところあと二人いて、お前のこと嫌いだから別の人間に頼むわと言われたり、私のミス(ではないのだが)にだけ異常に過敏で大声で怒鳴りつけられたりする。

思えば、中学の時の美術教師には、彼女のクラスの生徒に死ねと悪口を言った、という完全なる人違いをされた上で、彼女に嫌われ美術の成績が2になったという過去があるし(上島お前だよ、死ね)、高校の時の書道教師にも何故か嫌われていた。多少可愛げの無い対応を取ったとはいえ、高校では英語科の教員連中にも不当な扱いを受けた

こんな例ばかり挙げていると、私の人格によほど問題があるのだろうと思われるのかも知れない。しかし、確かに屈折はしているんだけど、臆病者で気が弱いから、人に嫌われるのも怖くて、なるべく人を不快にしないような振る舞いに(多少例外はあっても)努めてきたつもりだ。嫌われる、ということに、人一倍ビクビクして来たのである。

それもいよいよアホらしいと、最近では思えるようになったかも知れない。相変わらず凹むけど、振り返ってみても、私を嫌いだといった奴なんて、本当にどうでも良い奴ばかりだった。そして、私を好きだと言ってくれた人は、本当にいい人ばかりだった。私はそういう人だけを大切にすれば良かったのだ。なんでこんなことに気付かなかったのだろう。

えーと、何の話だっけ。そうだ、明日仕事に行きたくないって話だった。