京都鴨川藝術大学

Kyoto Kamo River Imaginary University of the Arts

一色の夢

大学時代のことをうっすらと思い出した私は、当時一番仲の良かった友人の名前をネットで検索してみることにした。

とか言うと、お前友達なんかいないって言ってたじゃん、と日頃より励ましの声をいただいていた読者諸氏から失望の混じったツッコミが入りそうなので、事情はきちんと説明しておこう。とりあえず、友達はいない。

いまや大学というのは、3回生4回生のゼミナールのみならず、大学生活の中心となるクラスが用意されており、1回生2回生の間はそこに所属することに一応なっている。一応というのは、ゼミ講義と異なりクラス講義は強制的に履修させられてしまうからである。実は参加・出席しなくても単位を落とすだけなのだが、入学早々そういうわけにも行かず、私もとりあえず出席していたという具合だ。

そこで出会ったのがIである。クラスの顔合わせ初日、私は指定された教室に一番早く到着した。その後、一人二人とメンバーが現れ、Iもやってきた。私は部屋の一番隅に陣取っていて、他にも空いている席は沢山あったにもかかわらず、少し離れたところに座っていた人間(I曰く「キモい奴」)を避けるようにして、Iは私の隣に座ったのだった。

後に、「お前俺のことが嫌いだろう」と言って(私は何も言っていないのに)私の本心を見抜いた上で去って行ったKともココで出会い、そのままお昼ご飯を食べに行ったのを覚えている。私は挫折と妥協の末に入学したこの大学で人間関係など作るつもりは一切無かったのだが、クラスのある日はもちろん、同じ講義を受ける日などはIと行動することが多くなった。帰り道が同じだったし、趣味が一切合わないのに、妙に話が合う奴だった。私のわかりにくいボケの意図を瞬時に察知して的確にツッコミを入れてくれたのは、後にも先にも彼だけだった。

とはいえ、付き合いはその程度だった。2回生まではなんだかんだで毎日出席しないと必須単位が集まらないようなシステムになっていたのだが、3回生以降、彼とはどんどん疎遠になっていく。私は学校に行くことすら嫌で、一年で履修できる単位の上限いっぱいを前期に割り当て、後期は週一しか登校しない、という方法をとっていたからだ。そんな無茶な履修の仕方をしていたものだから、毎日辛かったうえ、なかなかの規模で単位を落としていった。

Iのことはクラスのメンバーだった奴から聞いたり、たまに構内ですれ違うI本人と生存報告をしあって知ったのだが、彼も随分単位を落としていたようだ。Iもまた、挫折と妥協の末にこの大学に入学し、私同様のスチューデント・アパシーに陥っており、勉学にも遊びにも身が入らなかったのだった。

卒業式の日、私は式典には出席せず、ゼミの教授にだけ挨拶をするために、法学部生に指定された集合場所に赴いた。そこでかつて同じクラスだった連中から、お前卒業できるんか、と喝采を受けた(バカにされた)のを覚えている。みんな就職も決まって、華やかな学生生活の終わりを名残惜しそうに迎えているのだった。

私は無事に卒業できたことを安心する気持ちと、暗鬱な毎日に終止符が打てる喜びと、望んだ大学生活が送れなかったことに対する恨みと、この大学を卒業したことが私の経歴に一生消せない烙印として刻まれることの苦痛と、今後のことが一切決まっていない底知れぬ不安を、ぐちゃぐちゃに抱えていた。この気持ちを、Iなら分かってくれるんじゃないか、と思った。しかし、そこに彼の姿はなかった。

あれから5年。あっという間の気もするし、あれ? あんまり時間経ってないな、という気もする。折に触れて彼のことを思いだし、名前を検索してみることはあったが、見つかるのは別人ばかりだった。しかし今回、ちょっと真剣に探してみたら、案外簡単に彼のことが見つかった。要は探す人間の気持ちの問題だったのだろう。

彼は私と同じ年に大学を卒業していた。卒業した年から、京都市の飲食業の店で働いているらしい。SNSは2012年の中頃から更新が途絶えている。無事にやっているのかどうかは分からないけれど、そうか卒業できたのか、と人ごとながら嬉しくなったのだった。俺たち、負けたけど勝ったんだな、みたいな。彼について分かったのはそれだけだった。あと、私は彼の名字を微妙に間違えて呼んでいたことも判明した。ごめん。

その夜、彼の夢を見た。すっかり忘れていたが、彼はイタリアが好きで、第二外国語とは別にイタリア語の授業を受けていたのだった。こんな形で記憶を取り戻したのは、生まれて初めてだった。